黒瀬街道(其の4) 恵那市・中津川市 2016年12月2日(金) 地形図「付知」 中野方ダムから、たがみ(田神)峠を越えて、蛭川の辻屋橋まで。 |
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【時間】 P 09:40 ↓ たがみ峠 10:15 ↓ 県道402号出合 10:50 ↓ 墓地 11:20 ↓ 辻屋橋周辺 11:35〜11:45 ↓ P 13:55 |
地図の表示は下記とする。 黒瀬街道の道筋 今回歩いたコース |
《中野方ダムからたがみ峠まで》 今日は、中野方ダムの展望広場の駐車場に車を置いた。山側の斜面には塞の神の石碑がある。ダムの建設以前は、現在位置より東200mほどの湖面すれすれの場所にあったようだ。 |
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塞の神 | 塞の神の石塔 |
付替え道路が終わり、街道跡に入る。そして、中野方川を渡る。この付近に笹場橋跡の石組みがあるというが分からなかった。 小川状態の街道跡を登るが道筋をたどることはほとんど出来ない。右や左の岸を歩くことになる。そして右や左の脇に積まれた小石は道普請の際に取り除いたものだろう。笹場林道を過ぎると道はより深くえぐられている。そしてたがみ峠に着く。右に行けば笠置山となる。 |
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石積み | たがみ峠 |
《蛭川、辻屋橋まで》 峠を過ぎると道標の書式が変わり、裏に「蛭川勤彊塾」と書かれている。蛭川側は時々薄いヤブになるが道筋を十分歩ける。林道に出合い、辺りに「清水の大松」を探すが桧の植林で見つからなかった。 次に県道402号に出合い、ここでは桧の大木の根元に「清水」が湧いていた。県道を横切り正面の沢に入ったがどうも感じが違う。雑木林の中を右手に進むと道があり道標があった。この辺りの右上には県道が通っている。 |
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石積み | 清水 |
土道を横切ると道筋は続くが「山伏の塚」らしいものは見られず、道筋を歩けなくなると墓地に出た。 |
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蛭川側はこんな感じで道筋をたどれる | 墓地出合 |
墓地の入り口付近には名号塔があり、その先の街道筋は消失しているので県道を歩いて辻屋橋に着いた。辻屋橋東詰には「辻屋橋の道標」があり、西詰の広場には「今洞の大いちょう」の傍にベンチがある。 このベンチで笠置山や恵那山を見ながら休ませてもらったが、10分ほどの間に通った車は3台、のどかなものだ。 |
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辻屋橋西詰の広場 | 東詰の道標(左は大正8年、右は正徳3年のもの) |
《帰り道》 往路では県道の下方で道を失ったが、道筋は続いていた。何のことはなく100m程は県道と重複していた。そう言えば、ストリートビューで見た時、2ヶ所に「黒瀬街道」の看板が確認できたことを思い出した。 そして、また中野方川のすぐ東側で道に迷った。渡渉点を見失ったが、前回も同じところで間違ったと思う。 |
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遠ヶ根峠(蛭川今洞から) | 中野方ダムから笠置山 |
《雑感》 不思議なことに、中野方側は街道筋が深くえぐれて小川状態なのに、蛭川側はそうでもない。また蛭川側では、道の横に2坪ほどの平地が2ヶ所で確認できたが、馬を休める場所だろうか。 前回も不思議に思ったが傾斜面なのに、沢状のくぼみが斜面を横切り、街道筋と並行して続いている個所がある。(以下は推測) これは道筋の雨水を道の外に流すようにしてあったためか。1か所には大きい石を置いて雨水を外に流した跡が見られた。 と考えれば、中野方側はこのように構造が早い時期に崩れて2m越す深さの水路になったのだろう。 |
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黒瀬街道 其の1 (福地村下落合〜久田見村清水谷) 黒瀬街道 其の2 (小屋ヶ根峠、細目村鯉居〜久田見村清水谷) 黒瀬街道 其の3 (黒瀬湊〜鯉居橋) 黒瀬街道 其の4 (たがみ峠越え、中野方村笹葉〜蛭川村辻屋橋) 黒瀬街道 其の5 (蛭川村辻屋橋〜高山村狸洞) 黒瀬街道 其の6 (坂折峠越え 福地村蔵橋〜中野方村権現神社) 黒瀬街道 其の7 (中野方村内と権現山) 黒瀬街道 其の8 (最終章、高山村木積沢狸洞から日比野村並松の飛騨街道分岐まで) 黒瀬街道 特別編 (久田見中盛西・野黒と小洞辻) |
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美濃一人>山名録2016>黒瀬街道(其の4) |
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