黒瀬街道

黒瀬街道(其の1) 八百津町内 2016年10月7日(木) 地形図「美濃加茂」「金山」

黒瀬街道を何回かに分けて歩こうと思う。まずは福地下落合から黒瀬湊まで。
所が、想定外の事態に遭遇。小洞の辻付近で街道は通行不能となり、大回りで八百津市街に戻った。

以下の地図の表示は下記とする。
 茶色の破線 江戸時代の道筋
 赤色の破線 明治・大正時代の道筋
 緑の実線 今回歩いた道

参考にした資料は『黒瀬街道調査報告書−中野方小規模生活ダム建設に伴う調査』
               平成9年3月19日発行 恵那市文化振興会
                          (可児市図書館郷土資料室在開架)


【時間】

福地下落合バス停07:50−八百津ファミリーセンター16:05


《コミュニティバス802》

八百津ファミリーセンター7時5分発のバスに乗り、下落合に行くことを確認する。
後から乗る乗客の邪魔にならないように一番後に座ったが、エンジン音と振動に悩まされた。
7時50分に福地下落合に着いたが、結局1人も乗って来ず、貸切りでこれだけの距離を乗って200円。

バスをUターンさせた運転手さんが「どこへ行くの?」と聞く。「黒瀬街道を歩いてファミリーセンターに戻ります。」と答えると、呆れてみえた。


長瀬街道地図1

バス停のすぐ横にあるはずの馬頭観音を確認しなかった。さい先が悪い。
丈衛門新道は看板でもあるのかと思ったがなにもない。
忠魂碑を見て、その先に道跡があるそうなので見に行く。所が何を思ったか南に向かった。これも老眼のせいか?

下落合バス停 洞田の忠魂碑
下落合バス停

洞田の忠魂碑

県道に合流してすぐに道跡をさがすが、牧場になっていて馬小屋の前を通る感じなので立ち入らず。反対側はキャタピラーの跡がある作業道になっていた。
大イチョウを見ながら下ると道跡は農道になっているようだ。

街道跡にある牧場 樽洞の大イチョウ
街道跡にある牧場 樽洞の大イチョウ

追分の道標を見て、長曽川左岸の街道筋を行くと、墓碑があり、その先に民家が2軒。1軒は住んでみえる。少し先に橋があるが、その付近にあるはずの「三本松の馬頭観音」と「大阪小浜屋の墓」は見付からなかった。

追分の道標 県道との分岐
追分の道標

県道との分岐

墓碑 長曽の街道筋
墓碑

長曽の街道筋

長曽川を渡って県道に出合うとカーブの所に開宅記念碑と馬頭観音あり、その先の沢には水神の小さな石碑があった。

開宅記念碑と馬頭観音 水神
開宅記念碑(右)と馬頭観音

水神

長瀬街道地図2

県道と分かれ、松坂の集落に入った。この辺りを通る明治・大正期の街道筋は耕地整理とむらさき野ゴルフ場建設で消えたという。
松坂集会所のベンチで休憩させてもらった。

地蔵堂に挨拶し、山車の保管庫横の馬頭観音にもご挨拶。

ゴルフ場入り口 松坂北の街道筋
ゴルフ場入り口

松坂北の街道筋

地蔵堂 2体の馬頭観音
地蔵堂 2体の馬頭観音

白髭神社と常夜灯は久田見市街の入り口にある。10時20分と少し早いが拝殿の横でお昼にした。町中には山田屋・田中屋・東屋と古い家屋がある。(東屋は現住)
そういえば、バスの運転手さんはアナウンスのスイッチを押し忘れたのか、久田見本町のバス停を過ぎてから「次は久田見本町」と聞こえてきた。乗客は終点で下りる僕1人だから問題ないが、2・3度あったような・・・・。

常夜灯と白髭神社 拝殿から下を見る
常夜灯と白髭神社

拝殿から下を見る

山田屋 田中屋
山田屋 田中屋

郵便局前の道路の向かい側で側溝工事をしていた。これに気を取られ正規の街道筋を歩いているのに一本東を歩いているような錯覚を起こした。
あぜ道を通り、県道に出てしまったが間違いに気付かない。しばらく歩いてようやく気が付いた、やっぱり変だ。バス通りを通って、街道筋に復帰した。

そして、巡拝供養塔を見て、久田見善光寺を探した。「あら何か公民館見たい。」
岐阜善光寺や関善光寺くらい有名になってほしい。
少し先に山神の石碑があったが、資料に記載はない。

県道83号から見る砥山 巡拝供養塔
県道83号から見る砥山

巡拝供養塔

久田見善光寺 山神
久田見善光寺

山神


やって来ました小洞辻。この時はまだ知らなかったが、ここが苦難の始まりだった。

小洞辻のバス停 小洞辻の道標
小洞辻のバス停


小洞辻の道標


黒瀬街道地図3

小洞辻の南側で西向きの踏み跡を探すが、すっきりした道跡がない。
県道に戻り明治・大正期の道路から入ろうとしたが草がボウボウ。とてもこの時期には入れない。

もう一度南側の道沿いを探す。候補は2ヶ所。1本は鉄塔に向かっていそうだ。もう一本は盛り土の縁で草丈は背を越えている。これで街道筋は諦めた。
(後記10/10:資料を精査するとこの鉄塔の下を通っているようだ。)

県道83号を行っても、南へ下っても、かなりの遠回り。予定の6時間では到底着かない。
地形図を見ると実線から破線になり、いい感じで道がつながっている。ならばと、水源の森への林道に入った。

ところが、水源の森手前の分岐は廃林道だが草がボウボウ。これも諦め、水源の森に行ったが道は全て行き止まり。仕方なく引き返し車道を南へ向かった。

水源の森 水源の森
水源の森 水源の森

小洞を過ぎ、杣沢辺りで足の裏が痛くなり、靴擦れが出来たようだ。
今日は平地を歩くので靴と靴下は散歩用(高社山用)。アスファルト・コンクリートの路面の硬さは考慮していなかった。国道418号の交差点で靴下を脱ぐと水ぶくれができている。

ここからあと何キロか。印刷した地図は範囲を指定し、加工してA4に写した地図なので縮尺が分からない。あと4〜5kmだとは思うが、もうとても黒瀬湊まで行く元気はない。

棒になった足をストックでかばい、ようやくファミリーセンターの案内板が見えた時にはもう立ってられなかった。


《今後の課題と今日の発見》

黒瀬街道小屋ヶ根峠越えの街道筋は草が枯れてから南側から確認しよう。八百津市街の黒瀬街道はその折に散策しよう。
中野方ではあんなに黒瀬街道の保存に熱心なのに、八百津町内には1枚の看板もなかった。

今日、道路を歩いていて一つ大発見をした。
松坂辺りだったか、マンホールのフタに「やおつ」と書いてあった。今まで「やおづ」と言っていたが無知を晒して生きてきたようだ。



黒瀬街道 其の1 (福地村下落合〜久田見村清水谷)
黒瀬街道 其の2 (小屋ヶ根峠 細目村鯉居〜久田見村清水谷)
黒瀬街道 其の3 (黒瀬湊〜鯉居橋)
黒瀬街道 其の4 (たがみ峠越え 中野方村笹葉〜蛭川村辻屋橋)
黒瀬街道 其の5 (蛭川村辻屋橋〜高山村狸洞)
黒瀬街道 其の6 (坂折峠越え 福地村蔵橋〜中野方村権現神社)
黒瀬街道 其の7 (中野方村内と権現山)
黒瀬街道 其の8 (最終章、高山村木積沢狸洞から日比野村並松の飛騨街道分岐まで)
黒瀬街道 特別編 (久田見中盛西・野黒と小洞辻)



美濃一人山名録2016>黒瀬街道(其の1)