上河和〜水成・祖父川の古道探し3 関市富之保 2020年9月22日(火) | |||
地形図「美濃」 |
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2020年5月28日、美濃市上河和から入山し、標高点354m東の峠までを確認した。 今回は水成林道の石仏の位置から谷道を探し、上河和までをつなげたい。 |
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上の地図は1/5万図 「上有知」 (明治42年測量 大正元年発行)を使用しました。 |
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《時間》 駐車場所(石仏の前) 8:40 ↓ 三角点水成 10:00〜10:10 ↓ 51番鉄塔 11:20 ↓ 駐車場所(石仏の前) 11:55 |
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《水成林道》 水成集落の北端から水成林道に入り、約2km先の中電標示板「NO.50」を確認する。橋はないが水成川は渡れそう。でも谷から林道に登る足掛かりはない。 少し先に、上河和へ行く山道の入口に石仏があり、えん堤がある。その前に車を置いた。 |
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巡視路の渡渉点 | 峠道入口の石仏 | ||
《暮洞の谷歩き》 えん堤工事の作業道跡から入山。えん堤の横を通り道は順調に続いていた。丸太橋があり、その先は倒木だらけだが、多少の道跡は残っている。 |
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作業道入口 | 道跡の丸太橋 | ||
下の画像はスタジオジブリが「常識の範囲でご自由にお使い下さい。」と公開した400枚の1枚(『思い出のマーニー』の37枚目)。 日本の山地にもこんな風景があるだろうか。 |
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身近な現実の谷は、下の如く、全く風情がない。 |
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倒木を巻いて通過するのに疲れ、イノシシの気分になり、リックを下ろし四つん這いで倒木をくぐって行く。炭焼き跡があり道は直登。沢が近くなると武儀町の杭が横に並んでいた。これは道幅を示しているようだ。 支谷に覆いかぶさった倒木をくぐり、谷の二股を右に入ったが3mほどの滝を巻けず、斜面を直登し、ようやく尾根に出合った。 |
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2本並んだクイ | 滝 | ||
《峠〜四等三角点水成》 当然、現在地は不明。でも、峠道は二股の右にあったと思われるので右折。すぐに、石仏と尾根の左右に道があった。水成側を下ってみると、10mくらい毎に武儀町の杭が横並びに設置してあった。 谷歩きで疲れてしまい、上河和側は次回?の楽しみに取っておく。そして、薄い踏み跡をたどって2度目の四等三角点水成に対面。前回(水晶山・ナガザコ)はここから東尾根を下っている。 |
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「寛延元年水成○○」とある | 四等三角点水成 | ||
《市境尾根から送電線巡視路》 市境尾根を南下する。480mのコブの登りから踏み跡はなくなった。そう言えば西側に巻き道があったような気がする。コブのテッペンから市境を下ったが踏み跡・切り開きはなく、何時まで経っても見覚えのある所が出てこず、不安になり引き返した。 テッペンから東へ下ると、巡視路に出合う。巡視道は51と50が分岐していて、取りあえず51番に行ったが展望はなく50番への道を行く。細い尾根道が続き、ガケには3ヶ所ハシゴが設置されていた。 |
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50と49が分岐する。50番へは行かずに急斜面をジグザクに下って行く。この時、足がつりそうになったが、こんな所でつったら最悪、せめて林道まで。谷の右岸を下り、丸太橋を渡り、谷川を渡り、岸をよじ登って林道に乗った。 |
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丸太橋 | 巡視路の渡渉個所 | ||
着替えようとすると靴の甲にヤマビルが。今日もベタベタ、乾いた林道の真ん中でパンツまで着替えた。足がつりそうなのでアキレス腱を伸ばしたら快調になったが、これは効果があるかもしれない。 《調査結果》 上河和からの谷道、八滝洞の谷道、暮洞の谷道は全て壊滅。標高点354m〜三角点水成の尾根道は健在だろうが、標高点354m付近から東進するトラバース道はどうだろう。 上の2ルートを見に行く、最も近いコースは杏谷の林道終点からだが長すぎる。上河和から六支谷の間の尾根を登るか、水成林道の石仏の所から尾根を登るか、二つに一つ。 |
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上河和〜水成・上河和〜祖父川の古道探し |
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