上河和〜水成・祖父川の古道探し1 美濃市 2020年5月28日(木) 地形図「美濃」 |
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上の地図は1/5万図 「上有知」(明治42年測量 大正元年発行)を使用しました。 | |
《古道の道筋》 三等三角点祖父川の「点の記」には「(前略)富之保村字祖父川北端ニ達スソレヨリ洲原村字上河和ニ通スル山路ヲ進ム約八丁ニシテ峠ニ達ス(後略)」とあり、古い地形図と符号する。 (明治38年夏から秋にかけて、この付近の三等三角点を測量し、「点の記」を書いた陸地測量手はすごい悪筆。時々読めない字がある。) |
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また、水成林道にある石仏の前に車を置き、奥寺谷・ナガザコ・水晶山・水成と歩いた時は水成から尾根を下っているが、上の地形図では谷道が描かれている。 ならば、この付近の古道を探してみよう。 |
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水成林道の石仏 | |
《時間》 P電波塔 09:20 ↓ 祖父川へ行く道の谷で引き返す11:05 ↓ 谷の崩落個所出合 11:40 ↓ P 12:10 |
《順路》 見坂峠を越えて、樋ヶ洞から恵通林道を通り、長良川右岸の県道を走り上河和の集落に入る。 集落内の狭い道を通り、舗装が途切れた30m先に電波塔があり、そのフェンススレスレに車を置いた。 |
《古道の取付きを探す》 電波塔から50m入った所に石仏が祀ってある。そこから100m先に青々した倒木が道をふさいでいる。気持ち悪いがこれをクリアーしないと始まらない。ガムシャラで通過した。 |
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石仏 | 道をふさぐ倒木 |
橋の手前から踏み跡に入る。入口は狭かったが、すぐに1間道になった。右分岐の狭い道を見送り、道なりに進むと祠があったが広い道はここまで、踏み跡は谷に消えた。 引き返して分岐の道に入った。すぐに腐った丸木橋があったが、その先に踏み跡はない様に見えた。また、この橋を渡ると六支谷左俣の向こう側に行ってしまうと考えた。(バカだね。こんな狭い沢を本谷と勘違いしたのだから。) |
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祠 | 丸木橋 |
道が踏み跡になり、そして何もなくなった。こうなると何時もイケイケになってしまう。向きが変だとは思いつつ、尾根に出合って右折すれば良いと。時々掘れ道に見える所もあるのでイケイケ。 尾根に出合い、右折。コブを越えると鉄塔が見えたが、えらく遠くへ登って来たようだ。尾根に踏み跡はあり、ようやく峠1に着いた。 |
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愛岐幹線1−22番(左) | 峠1 |
《祖父川への道探し》 標高点354mを回り込むと中電標示板のある峠2に着いた。尾根道と右に分岐する道があるが、分岐の道はすぐ先で終わっているように見えたので尾根道を登った。 またすぐに右に分岐する道があり、これに入ったが5・6分で行き止まりになり、首に巻いたタオルを盗られた。峠2まで戻り、分岐の道に入ったがこれが正解。せめて郡界尾根までと思ったが峠1から下る道の状況が分からないので余力を残すため、沢を横切る所までとした。 |
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峠2の道分岐 | 沢の出合 |
《愛岐幹線1−22番鉄塔》 峠2から何時もの階段を登り1−22番鉄塔に着くと、意外や大展望、ここで休憩。 |
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誕生山・湯の洞山・母野洞 | 片知山 |
《峠道の下り》 良い感じの峠道が「GISぎふ」の破線通りに続いていて、快調に下る。 と、前方の道が消えた、谷が崩れている。深くえぐられた谷の対岸に道の続きを探すが見当たらない。仕方なく谷芯に下り右岸に道を探すが見付からなかった。 今さら引き返すことも出来ず、とにかく谷を下る。石で滑り、大きな段差を巻くときには斜面で滑り、ようやく田んぼの跡に出合った時はほっとした。谷側にあぜ道はなく、山側を行くと広い道に出合った。 念の為に谷の右岸の道を登ってみると棚田の石積で終わっていた。 |
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崩れた谷 | 右岸の棚田の行き止まり個所 |
とすると、登りで見た丸木橋はこの田んぼの上部に行く道だったのだろうか? 《洲原神社》 今日の峠道は洲原神社への道でもあったはずなので、初めて参拝した。我が家の辺り(可児郡大原村)からも2日かけて参り、虫送りのお札と社の下の砂を持ち帰ったそうだ。 |
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駐車場を出る所で嫌な物を見てしまった。リーマンショックと2009年問題で落ち込んでいる時、ここでフラッシュをあびた。 呼び出しに怯えながら、新しい職場に通っていたが、幸運にも呼び出しは来なかった。 それ以来、ここを通るのは12年ぶりだ。 |
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上河和〜水成・上河和〜祖父川の古道探し | |
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