生屋/戸丁の峠道

小那比生屋/鳥屋市戸丁の峠道 其の3 2023年12月4日(火) 五万図「金山」

今回は上之保戸丁側から峠Cへ、郡界尾根を北上して峠Aの石仏を見、梨坂谷を下る。戸丁林道に出合い、のんびり歩いて戸丁集落に戻るコースを予定した。 古い地形図

コース地図《時間》

P 09:40
  ↓
峠C 10:20
  ↓
峠A 11:05〜11:15
  ↓
P 12:00

《峠Cへ》
公民館に車を置きたかったが目立つのでやめた。それで集落入口の広い路肩に、マンホールを避け、消火栓から十分に距離をとり車を置いた。
美濃東部農道から林道に入ると昨夜の小雨で路面はツルツルの完全凍結状態。
公民館 林道車止め
公民館 林道車止め

林道終点から峠Cへ向かう谷に入るが踏み跡は皆無。右岸は棚田跡の石積みが邪魔をするので左岸を行く。その内に谷芯しか歩けなくなった。
谷 地図
谷の入口 左:GISぎふ 右:地理院地図

昨夜、上右の地理院地図では谷の分岐が分からないことに気付き、「GISぎふ」を印刷した。持って来てよかった。
最初の分岐は左右ほぼ同じ深さの谷で右へ、次は左へ。迷わずに峠Cに着いた。
結局、峠の手前にも踏み跡はなかった。

《郡界尾根》
峠Bを過ぎ、前回の尾根の出合いを通過。そして482m辺りに差し掛かった。
前回は全く悩まなかったコブのテッペンで立往生。正解と思った尾根へ。変だと引き返し別の尾根へ。また引き返して、やっぱりこっちかと。
進むとまた分岐。間違ったと気付きトラバースすると、この前も見た二つ並んだヌタバ。同じ個所で間違った。とは言え地理院地図にはそれに該当する尾根はない。
そして峠Aのお地蔵さまにご挨拶をした。
ヌタバ 石仏
ヌタバ 石仏2体

帰宅後、482m付近を思い出してみるとやはり地理院地図の支尾根の描き方が変だと分かった。
ここでも「GISぎふ」に軍配があがる。
地図
左:GISぎふ 右:地理院地図

《峠Aから戸丁林道へ》
石仏の前で休憩後、峠から左山で順調に下る。所が支沢の所で道が流出。対岸に道跡はない。と言うことはこの沢に沿って道があったのかと遮二無二下るとすぐに本谷に出合った。
辺りを探せど道跡はなく、それ以前に谷は道を付ける余裕がない程に狭い。兎に角倒木をくぐり谷芯を下る。
境界杭は谷に続いていたが、1ヶ所だけ横並びの杭があった。
倒木 境界杭
ダメかと思ったが意外に簡単に通過できた 道跡?の境界杭

田んぼの跡に出合うと道は明確になり戸丁林道に出た。そこには「左リハなまや」の道標があった。
林道終点 道標
林道終点 道標

《戸丁集落》
集落に入ると移動販売車の所におばあさんが2人。話しを聞くと梨坂は遠足で通ったとか、嫁入りが通ったとか。
「あそこの車はあんたのかね?」
天下の公道、文句を言われる筋合いはないが「すみません。置く所がなかったので・・・」
流石に小さな集落、監視の目は行き届いていた。

《小那比鳥屋市林道》
三角点鳥屋市・浅ヶ洞の下見をしようと林道を目指す。所が林道の入口は車が通せん坊。更に、じいさんが3人、椅子に座って市道側を睨んでいる。
何でもない様に通り過ぎたが何だ。猟にしてはオレンジ色のベストを着ていなし、道路工事ならばガードマンが立っているだろうし。やはり狩猟か。
念の為、狩猟期が終わるまでは近づかないでおこう。


《生屋/戸丁の峠道》
生屋側 戸丁側
道跡あり 峠A 斜面の道150m程は残っていた 
その先の谷には道跡なし
谷までの20m程は残っていた 
谷には道跡なし
峠B 道跡あり(一部極薄)
棚田の一部の除いて道跡あり 峠C 道の痕跡なし

其の1:三角点樽之上と峠Cの下生屋側
其の2:峠Bの戸丁側と峠Aの下生屋側
其の3:峠Aと峠Cの戸丁側(このページ)


美濃一人山名録2023>下生屋/戸丁の峠道 其の3