小那比下 |
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前回(2023/11/15)は峠Cの下生屋側の峠道を歩いた。 今回は前回と同じ場所に車を置き、そこから尾根に取り付き、郡界尾根へ。峠Cから戸丁側に下り、峠Bに登り返し、峠Aへ。そして下生屋に下る予定。 出来れば峠Bの下生屋側を行ける所まで見に行きたい。 |
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《時間》 P 09:35 ↓ 峠C 10:20 ↓ 峠B 11:00 ↓ 峠C 11:35 ↓ 集落出合 12:00〜12:10 ↓ P 12:25 |
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《P〜峠C〜林道》 空き地に車を置き、正面の尾根に取り付く。5・6年前に除伐した跡があるが踏み跡は皆無。郡界尾根に乗り右折。一本調子で下りだし、間違いに気付いた。目視で尾根を確認し、これを進むが峠Cが出てこない。峠Cは尾根の先にあるのではなく途中から派生していた。 峠から道跡に入ったが一向に下って行かない。沢を横切り、尾根に出た。尾根を回り込むと更にトラバース道は続いている。 これは峠道ではなく、杣道か。峠道はやはり直に谷に下っていたのだろう。引き返すのも面倒なので急な斜面を下った。 (林道は地理院地図よりも先に伸びていることは「GISぎふ」で確認済み。) |
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トラバース道 | 林道を視認 |
どうしたことか最近デジカメの調子が悪い。ピンボケばかり。 8年も使っているので新しいのが欲しいが、コンデジはおもちゃしか売っていないので困っている。 |
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《林道〜峠B〜峠C》 林道の終点付近には田んぼの跡があり、棚田の中の沢が峠Cへの谷のようだ。峠Bへの谷には薄い踏み跡があった。これを行くと堰が2ヶ所、更に進むと峠の辺りが見え、登り代は少ない。 |
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1つ目の堰 | 道幅にある杭 ここは公道か |
峠Bに着くと石仏がおわした。銘は「文政五午・生屋」とある。ここから下生屋側へ5分を限度に下ってみた。谷には道跡はなく、4分で谷が狭くなり倒木で進めなかった。 郡界尾根に戻り北上、482m付近は尾根が広く少々もたついた。そして峠C。ここには石仏が2体。左の石仏には頭がない。辺りを探すとすぐ後に落ちていて、これを乗せて写真を撮った。 右の石仏は明治二己年で戸丁村中の文字、左は安永七戌で〇那比村と読める。 |
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峠Bの石仏 | 峠Cの石仏 |
《下生屋へ下る》 本当はお地蔵さまの前で休みたかったが、この先の峠道の状況が分からず、そんな気分になれない。 道跡は右岸の高い位置にあり、すぐに田んぼ跡が谷底に見えた。集落の手前まで来たが深い谷川の向こうには電気柵。これを迂回しようとしたが獣除けが迂回出来る筈もない。 谷川を飛び越えようと思ったが無理。兎に角底に下り、苔むした気持ちの悪い倒木につかまり対岸に上がった。次は電気柵。触ってみたがどうもない。ゲート部分のワイヤーをはずして通過した。 |
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田んぼ跡 | 電気柵のゲート |
《生屋集落》 現役の田んぼの脇でお昼にした。位置は生屋川と美社ケ洞の合流点付近、対面の山ではえん堤の工事をしていた。 |
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休憩場所 | 工事中のえん堤 |
《小那比下生屋/鳥屋市戸丁の峠道》 其の1:三角点樽之上と峠Cの下生屋側 其の2:峠Bの戸丁側と峠Aの下生屋側(このページ) 其の3:峠Aと峠Cの戸丁側(未) |
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美濃一人>山名録2023>下生屋/戸丁の峠道 其の2 |