生屋/戸丁の峠道

小那比下生屋(なまや)/鳥屋市戸丁の峠道 其の2 2023年11月22日(水) 五万図「金山」

前回(2023/11/15)は峠Cの下生屋側の峠道を歩いた。
今回は前回と同じ場所に車を置き、そこから尾根に取り付き、郡界尾根へ。峠Cから戸丁側に下り、峠Bに登り返し、峠Aへ。そして下生屋に下る予定。

出来れば峠Bの下生屋側を行ける所まで見に行きたい。
古い地形図

コース地図《時間》

P 09:35
  ↓
峠C 10:20
  ↓
峠B 11:00
  ↓
峠C 11:35
  ↓
集落出合
 12:00〜12:10 
  ↓
P 12:25

《P〜峠C〜林道》
空き地に車を置き、正面の尾根に取り付く。5・6年前に除伐した跡があるが踏み跡は皆無。郡界尾根に乗り右折。一本調子で下りだし、間違いに気付いた。目視で尾根を確認し、これを進むが峠Cが出てこない。峠Cは尾根の先にあるのではなく途中から派生していた。
峠から道跡に入ったが一向に下って行かない。沢を横切り、尾根に出た。尾根を回り込むと更にトラバース道は続いている。
これは峠道ではなく、杣道か。峠道はやはり直に谷に下っていたのだろう。引き返すのも面倒なので急な斜面を下った。
(林道は地理院地図よりも先に伸びていることは「GISぎふ」で確認済み。)
トラバース道 林道
トラバース道 林道を視認
どうしたことか最近デジカメの調子が悪い。ピンボケばかり。
8年も使っているので新しいのが欲しいが、コンデジはおもちゃしか売っていないので困っている。

《林道〜峠B〜峠C》

林道の終点付近には田んぼの跡があり、棚田の中の沢が峠Cへの谷のようだ。峠Bへの谷には薄い踏み跡があった。これを行くと堰が2ヶ所、更に進むと峠の辺りが見え、登り代は少ない。
堰 杭
1つ目の堰 道幅にある杭 ここは公道か

峠Bに着くと石仏がおわした。銘は「文政五午・生屋」とある。ここから下生屋側へ5分を限度に下ってみた。谷には道跡はなく、4分で谷が狭くなり倒木で進めなかった。
郡界尾根に戻り北上、482m付近は尾根が広く少々もたついた。そして峠C。ここには石仏が2体。左の石仏には頭がない。辺りを探すとすぐ後に落ちていて、これを乗せて写真を撮った。
右の石仏は明治二己年で戸丁村中の文字、左は安永七戌で〇那比村と読める。
石仏 石仏
峠Bの石仏 峠Cの石仏

《下生屋へ下る》
本当はお地蔵さまの前で休みたかったが、この先の峠道の状況が分からず、そんな気分になれない。
道跡は右岸の高い位置にあり、すぐに田んぼ跡が谷底に見えた。集落の手前まで来たが深い谷川の向こうには電気柵。これを迂回しようとしたが獣除けが迂回出来る筈もない。
谷川を飛び越えようと思ったが無理。兎に角底に下り、苔むした気持ちの悪い倒木につかまり対岸に上がった。次は電気柵。触ってみたがどうもない。ゲート部分のワイヤーをはずして通過した。
田んぼ跡 電気柵のゲート
田んぼ跡 電気柵のゲート

《生屋集落》
現役の田んぼの脇でお昼にした。位置は生屋川と美社ケ洞の合流点付近、対面の山ではえん堤の工事をしていた。
休憩場所 工事中のえん堤
休憩場所 工事中のえん堤

《小那比下生屋/鳥屋市戸丁の峠道》
其の1:三角点樽之上と峠Cの下生屋側
其の2:峠Bの戸丁側と峠Aの下生屋側(このページ)
其の3:峠Aと峠Cの戸丁側(未)


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