八百津登倉(点名)西の鉱山跡 八百津町 2020年3月12日(木) 地形図「美濃加茂」 |
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右地図は大正元年発行の5万図「太田」の一部。 この図には採鉱地の地図記号が描かれている。この時代、我が家(多治見市)近くの大原や高根山にもマンガン鉱山があったが、地図記号の表記はない。 となれば、これはかなり大規模の鉱山だと思われる。これを探しに行こう。 |
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《時間》 P 09:05 ↓ 取水堰 09:25 ↓ 鉱山跡付近(探して) 09:55〜10:15 ↓ 13番鉄塔(休憩) 10:40〜10:50 ↓ 丸太橋 11:30 ↓ P 12:00 |
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《南陽寺林道》 南陽寺林道の入口付近の空き地に車を置いた。念の為にそこらを探すと「岐阜県」の境界標がガケの際にあり私有地でないことを確認。 おばあさんがいたので話を聞くと、南陽寺の西の田んぼは耕作していないと云う。(後出のジッチャンによれば5年前から)ならば南陽寺川左岸の水路は使っていないことになり、水路に沿って歩くのは危険と判断して林道を行くことにした。 取水堰に来たが今日は水量が多くて靴の濡らしてしまった。そして、2020/1/21「須賀」の時に探しておいた鞍部に登る道に取り付く。 |
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取水堰(右岸から見る) | 取水堰(左岸から見る) |
《棚田跡→鞍部→棚田跡》 虎ロープに導かれ登って行くと、こんな所にも棚田跡があり、達筆の「入山禁止」の看板に出会えた。鞍部からは2019/12/11の「登倉」の時に見付けたトラバース道に入った。 倒木が多く、迂回を余儀なくされる。そして尾根を回り込むと棚田跡があった。地図を見ると支谷のようなので一旦田んぼに下り、沢を渡ると本流の方は上も下も棚田跡が広がった。本流を渡ると左岸に道がある。この道の登りは13番鉄塔を通り大船白山権現山まで、下りは味屋の集落まで続いているはずだ。 |
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支谷の棚田跡の端 | 本谷左岸の道 |
《鉱山跡》 この左岸の道を登ると、棚田の石積みとは雰囲気の違う石積みがあった。この縁から登ったがヤブになり何もなさそうなので道に戻った。谷側には用水路があり、棚田跡は続いている。 少し先にヤブに隠れた道が山側に登っていて、これを登るとさっきのヤブに出合った。エィとヤブを越すと盛土されたかなりの広さの平地が見えた。 |
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石積み | 平地 |
この奥に進むと見っけ!!! これは深い。入る勇気はない。斜面上を見ると何やらある感じ。こちらは狭くて坑道ではないようだが、覗くとつっかい棒が見えた。 |
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採掘抗跡 | 洞 |
今日の予定はこれで終わったが13番鉄塔でお昼にするために登る。送電線巡視路に出合い、3回目の関電丸山幹線13番鉄塔に着いた。 《戻り》 尾根を下るか谷を下るか、迷いに迷って谷道を選んだ。この谷はすごい。一部狭くなっている個所以外は全て棚田跡が続いていて、谷川より遥かに高い道の山側にも狭い棚田跡があり、米作りの執念が感じられる。 そして、不思議な構造物が3つあった。3面が石積みの遺構。炭焼き窯でもなさそうだし? 丸木橋を渡ると、だんだんと谷から離れ、下に墓地を見て、尾根道と合流して農免道路に出合った。 |
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何だろう | 丸太橋 |
《聞き取り》 農免道路の出合に軽トラのジッチャンが2人いて話を聞かせてもらった。 鉱石は鉄鉱石だという。ここらは堆積岩と付加体の境目なので何があっても不思議ではないが? 更に、坑道は尾根を突き抜けているというが、流石に向こうの谷まで行く気にはならない。 また、掘りだした鉱石は南陽寺川沿いに索道で下ろしたという。そう言えば南陽寺北の標高点246mには不自然な平地があり気になっていたが、索道の基地があったのだろう。 残念なのは洞(谷)の名前を聞くのを忘れたこと。 |
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