四等三角点登倉

登倉の遠景
八百津橋西詰から

四等三角点登倉
364.8m 八百津町 2019年12月11日(火) 地形図「美濃加茂

鉄塔以北の古道探しへ

《古道》

古い地形図
この地図は5万分の1地形図「金山」と「太田」(大正元年発行)を使用した。


現在の川辺町下吉田から八百津町八百津味屋の間に破線(上図の青い線、凡例では小径)が描かれている。
下吉田と比久見境界の尾賀野川右岸を上り、現在ある小原ため池辺りから源流部で川辺町と八百津町の境界に達し、権現山の南を巻いて尾根を通り、味屋に下る道。

s-ngmさんの記録では丸山幹線13番鉄塔の北にも尾根道があると書いてあり、この道のようだ。この道は権現林道と交差するが、交点は古い地形図からは読みとれない。また権現山(八百津)の東側から反時計回りに南側までの道も描かれていて、これは現在の反射板への道のようだ。

今回はこの道の味屋・13番鉄塔間を歩き、その先は再度味屋から入るか、又は権現林道付近を探すかして確認したい。

登倉の地図
《時間》

南陽寺 09:05
  ↓
14番鉄塔 10:25
  ↓
13番鉄塔 11:00〜11:15
  ↓
四等三角点登倉 11:25
  ↓
南陽寺 12:10

《南陽寺から14番まで》

この付近に車を置ける場所は南陽寺くらい。車を置いて挨拶に行くが、カギが開いているのに返事がない。仕方なく無断駐車となった。

道路に出て、法面に付けられた階段を登る。s-ngmさんのHPにある鳥居は撤去されていた。落ち葉でふかふかの道を登ると玉千代稲荷。平成31年の幟がある所を見るとお参りはされているようだ。

落ち葉の道 玉千代稲荷
落ち葉の道 玉千代稲荷

標高点246mで尾根を見失い、気が付くを南を向いていた。テッペンに戻り方向を確認した。その先の鞍部で古い地形図にある鉱山に行く道を探すと、登り始める位置に道があった。尾根の反対側には「茸山入山禁止」の看板が登ってきている。

その道に入ってみると倒木だらけだが道の形は残っている。これなら鉱山跡に行けるかもしれないが次回の楽しみとする。(この鉱山跡には2020/3/12に行っています。)
その先に山神様とシートの小屋。元はキノコの見張り小屋か、鳥屋とは見えない。

山神様 小屋
山神様 小屋

右の左も立入禁止のワイヤーにPPヒモ。関電の標示板があり14番鉄塔に着いた。その先を確認すると尾根道が続いている。

四等三角点登倉 四等三角点須賀
四等三角点登倉 四等三角点須賀(右)


《14番〜13番の巡視路》

巡視路に入るが踏み跡は薄い。本道に見えた方は行き止まりの感じ。トラバースする踏み跡に入るとかなりの規模の棚田跡の最上部になったが行止り。下の棚田を見るとピンクのテープが見え、急斜面を下ると標示板があった。

棚田の中を進むと、更に2ヶ所に標示板があり、竹藪を抜けて尾根に出た。関電は中電とは違い、巡視路は保守されていないように感じる。そして13番に着いた。

棚田跡 棚田跡
棚田跡 棚田跡


《13番鉄塔で》

鉄塔の下にリックを置いて、道の続きを進んでみると良い感じの道があった。鉄塔に戻り、12番を見ると人影が見える。後でチェーンソーの音が聞こえたので林業関係の人かも。
また、送電線の横には水源の森の無線中継所が見えた。

12番の人影 水源の森の無線塔
12番の人影 水源の森の無線塔


《戻り》

左は茸山のワイヤー、右は赤松を残して伐採してあるが灌木に覆われていてマツタケは出そうにもない。そして四等三角点登倉を通過。所々コシダの草むらになっている。

四等三角点登倉 コシダの中の道
四等三角点登倉 コシダの中の道

墓地を下に見て車道に下りた。次回の為に車が置けるかと墓地を見に行ったが無駄足だった。


《後記》

標高点246m北の鞍部にある分岐する道は、鉱山跡につながっているのではなくて、地形図の「荒地」記号の辺りに棚田があり、そこに通った道かもしれない。
14番鉄塔南の分岐する道は棚田に通った道だろう。
14番鉄塔から北の尾根道は権現山南標高点456mの北辺りで古道に合流するのかもしれない。

3時間しか歩いてないのに酷く足がつった。


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