高天良山 908.0m 白川町 2012年5月23日 地形図「下呂」
【登り】
P09:20−ミノ・ヒダの標石10:15−山頂10:40
−神社跡11:00−山頂11:30
【下り】
山頂11:50−分岐B12:30−引き返す12:55−分岐C13:05
−引き返す13:10−分岐B13:20−P13:35 (分岐点は下図参照)
《今回のコース》
火打峠からが一般的で、前回はこのコースで歩いている。しかし、今回は美濃側からにこだわった。となれば野多押峠からか。
WEBで探すと「山歩記」さんのページがあり、また『美濃の山(第3巻)』にも記載があった。両者とも野多押林道の枝林道終点付近から取付いているようだが、前者は山頂の東で、後者は山頂の西で尾根に乗ったようだ。
地形図を見ると685mPから南へ下る尾根が良さそうに思える。また、室山から神社跡に続く尾根も良さそう。とにかく行ってから考えることにした。
《取り付きは》
R256を走り、下佐見の高天良神社で左折、とりあえずの野多押峠に向かう。枝林道の入口を確認し、野多押峠。石仏の前でUターン。峠のすぐ南に山道の入口があったが無視し、枝林道に入った。
分岐から20mくらい先に炭焼き窯があり、その前の路肩に駐車した。ここで何もなければ林道を終点まで歩くつもりだったが、すぐ横の使用されていないゲートの所に沢があり、踏み跡があった。もう決まりこの踏み跡から取り付くことにした。
野多押峠 | 炭焼き窯 |
《国界尾根》
踏み跡通りに歩くと尾根に上がったが、若い植林の中、間伐された木々がうるさい。植林が終わり、傾斜がゆるくなると明確な踏み跡が出て来て、そして、より明確な踏み跡に出合った。
今日は周回にするかも知れないのでテープは付けず、止め木を置いた。すぐに今度は切り開き(道)に出合う。これが峠に向かう尾根道と思ったのが、間違いの始まり。
快適に尾根道を登って行くと、要所要所に先人のビニール紐がある。おや標石がある。「山歩記」さんの点名野多押のページにも宮標石があると書かれていたので、その続きだろう。でもこの標石は面白い、「ミノ・ヒダ」と彫られている。地図上では確かに国界だが、こうして認めてもらうと嬉しい。
(山頂までの間、標石はこれを含めて3個、その他に木杭・黄色いプラ杭があった。)
「ミノ」の文字 | 「ヒダ」の文字 |
また、この尾根筋にはコウヤマキの並木道や松・桧・モミの木の大木があり、さすがに高寺杉の産地と思わせる樹相だ。
山頂下810mから始まる急な斜面の右側は最近間伐されたようで踏み跡が寸断されている。これを登り切るとすぐ先に「山歩記」さんが登られたと思われる尾根と合流。間伐木をまたいで山頂に着いた。
《神社跡》
山頂から先の国有林界は境界見出標のある何時もの風景に変わった。境界が右折する所が『美濃の山』のコースの合流点か。これなら成山・久室からの参道にふさわしい。
鞍部には林道が上がって来ていて、登り返すと高寺神社跡に着く。高寺神社に関しては「飛騨美濃山語り」さんのページに詳しい。
明治初年に里に降ろされたのだから踏み跡はあるだろうと辺りを見回ると国有林界の尾根には当然道、北の尾根には踏み跡、そして階段を下ると石垣のある広場、ここに鳥居があったのだろう。踏み跡は尾根と谷に続いているが、尾根道で室山に下っているのか。(未確認)
(注:古い写真を見ると「お宮は明治の終わり頃 白川町久田島に移されました」とあり案内板の左方向に矢印があり「3000米」となっている。何だか向きが違うような気がする。5/29)
拝殿跡に登る階段 | 拝殿跡近くのオブジェ |
山頂に戻り、お昼した。
《下山》
今日はテープを付けていないが快調に下る。そして野多押峠に下ると考えた分岐に着いた。尾根の向き・地形は多少気になる。下るとまた踏み跡が分岐した。地形図とは符合しないが、どんどん下ると谷に落ちて行く。だが谷底には林道が見えない。
峠から左程遠くはないと思うが引き返した。100mH登り返し、分岐の踏み跡に入ったがさっきの尾根が隣に見え、これも谷に落ちて行く。
帰りには可児のスーパーで買い物をしなければならないのでこれ以上時間を掛けられない。往路を戻ることにした。
この分岐から50mH登り返し、分岐を往路に入り、止め木まで行かずに植林内を下った。炭焼き窯の屋根見え、最初からピストンにすれば良かったか。
《コースの検証》
B地点をA地点と勘違いしたのが失敗のもと。帰宅後お風呂につかりながらA地点を考えていたら、「そうだそうだ止め木をした所だ」と思い出した。
また、野多押林道は谷川の右岸10mHの位置にあり引き返し地点では気付かず、広い河原だけが見えた。
黒の破線と野多押林道の出合いは未確認。ただ野多押峠の戻りで明確な道があった記憶があるが・・・、残念。