田尻山

田尻山 530mくらい 関市上之保 2024年12月9日(月) 五万図「金山

《田尻山について》
古い地形図『上之保村史誌』には「〜〜平岩山 (鳥屋市518.1m)・高岡山(行合601m)の高峰を経て少合峠及び袋坂峠に達し、ここで再び東西の二派に分れ、東脈は七宗山塊をなして飛騨川にせまり、西脈は津保川・神渕川の分水界をなして西南進し田尻山(行合549m)を起し、更に南進して〜〜」と書かれている。

地理院地図で見るとこの標高に該当する峰はないが古い地形図(右図)には少合と田尻の間に549とあり、この峰だと思われる。

2024/3/27には少合/田尻の峠まで行っているので、今日は尾根を登ってこの田尻山に行ってみたい。

コース地図《時間》
P 09:40
  ↓
峠 09:55
  ↓
最高点 10:20〜10:30
  ↓
20番鉄塔 11:00
  ↓
P 11:40

《駐車予定場所》
アレレ!車が3台停まっていて置き場がない。ママヨと強引に車を置いた。車の看板を見ると○○電興。19番鉄塔からはガチャンガチャンと工具の音が聞こえる。
前回ここに来た時は鉄塔巡視の人と出会い、今日は鉄塔で何か作業をやっている。もの凄い偶然。
工事車両 無住の二軒集落の入口
工事車両 無住の二軒集落の入口

靴を準備していると男の人が市道の南からやって来た。工事の人、否、散歩中?
こういう時は刺激をしないように笑顔で応対。お話しを聞くとすぐそこの牛飼いの方だった。田尻山のことを聞くと「ここ全部が田尻山」。そらそうだ、特定の峰の呼称なんてないに決まっている。

いろいろ世間話をして、そして戻って行かれた。アレ、何しの来られた?
そうか。鉄塔の方から音が聞こえるので偵察のこられ、たまたま居合わせた僕が職質の対象になったと言うことか。

《峠へ》
奥の無住の民家の庭には軽トラが2台停まっていて、これも工事関係の車だと思った。前回は草ボウボウだった林道は草が刈られている。
そして、奥の家の畑に女の人が2人と男が1人。ここでも笑顔で挨拶。「この先の少合との峠から田尻山に登りたいので・・・・」と言うと「イノシシが一杯いるから気を付けて」と入山の許可を頂いた。
民家脇の林道 車止め
民家脇の林道 車止め

林道の終点からは、明瞭な道だったと記憶していたが、植林の中に踏み跡もない個所があった。そして何の特徴もない峠に着いた。

《最高点へ》
落ち葉を踏みしめてコブのテッペン。
田尻山最高点
田尻山最高点

《下山》
下山は多少の不安があったが南を目指した。コンパスをセットして下って行くと風化したテープと所々に境界杭もあり、何の苦労もなく鞍部へ、そして登り返してコブの上。
ここで尾根は左右に分岐。右折して尾根を行き林道に下りるか、20番鉄塔を目指すか。鉄塔方向は灌木のヤブ。
20番鉄塔と岳山 鉄塔方向のヤブ
20番鉄塔と岳山 鉄塔方向のヤブ

右折して10m、鉄塔がすぐそこに見え、工事をしている様子はない。ではとコンパスを現前の鉄塔に合わせヤブに入った。目標が見えず、2回方向を修正して20番鉄塔着。
こちらに来てよかった。里山では珍しい展望が開けた。
20番鉄塔 高賀山群
20番鉄塔 高賀山群

標示板の方向へ下ると巡視路の階段はバラバラ。鉄塔の足を迂回して尾根に乗った。しばらく下ると完全にヤブ、とても巡視路とは思えない。地形図を見ると小尾根に迷い込んだようで、巡視路は左隣りの尾根のようだ。

鉄塔まで引き返し、本命を思われる尾根を下るがこちらもヤブっぽい。不安になる頃ようやく巡視路の階段が出て来て一安心。そして地図上の林道に下りたが、これは植林の為の杣道程度のものだった。
そして林道終点の広場に出た。造林地が広がり、岐阜県の看板もあった。
広場と植林地 モデル事業の看板
広場と造林地 モデル事業の看板

舗装された林道を下ると車止めがあり、奥の民家が見えた。庭で帰り支度をしている人達にお礼を言い、少合との峠の名前を聞いた。「分かりません」 津保川との峠の名前を聞いた。「分かりません」

車のナンバープレートを見ると尾張小牧! 本当にこの民家の関係者?
でも敷地内の畑で作業していたし・・・・・  もう一台は飛騨ナンバー
いぶかしい気持ちのまま車に戻ると○○電興の車はいなくなっていた。


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