郡上街道の脇街道黒地峠越え 美濃市上河和〜郡上市美並町大原黒地 | |
2023年4月1日(土) 五万図「美濃」 | |
2023/3/28尾根道で横切った黒地峠を上河和から黒地に越えてみたい。ただ『歴史の道調査報告書 第2集』に黒地側には道筋が描かれていない。完全廃道と言うことだろう。 |
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《時間》 P 09:35 ↓ 黒地峠 10:20 ↓ 管理道路終点 10:40 ↓ 最終地点 10:50 ↓ 管理道路終点 11:05〜11:15 ↓ 黒地峠 11:30 ↓ (霊泉寺・佐羅早松神社) ↓ P 12:15 |
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《駐車場所》 佐羅早松神社をネット検索すると祭礼は四月第1日曜日とある。今日はきっと祭礼の準備で駐車出来ないだろうと200m遠くなるが集落入口の観光案内板のある広場に車を置いた。 |
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広場にある観光案内板 | 集落入口にある石碑二基 |
《黒地峠へ》 早松神社周辺には車(主に軽トラ)が15・6台止まっていて、村中総出で祭りの準備をしていた。入山の挨拶は出来ず、帰りに参拝することにした。 上河和林道入口には「郡上道」の道標があり、道は田んぼ跡の沢に沿って続いている。 |
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白山佐羅早松神社 | 道標 |
田んぼの縁を進むと突然開けた所に出た。この削平地は東海北陸自動車の現場事務所や資材置き場に使われていたのだろう。この区間は1998年に開通しているから25年前から放置されていることになり、松も大きくなっている。 傾斜がある所を見れば、元々は田んぼがあり、街道は田んぼの中を通っていたのだろう。 |
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削平地 | 棚田脇の道跡 |
道は掘れ道で落ち葉や枯れ枝に埋もれているが出来る限り道跡を行く。そしてこんな所に馬瀬二北岐阜線No.68の表示板があり、稜線が見える辺りで4回折り返して黒地峠に着いた。 お地蔵さまの下の丸い石の裏を見てみると何か刻んであるようだが老眼には読めなかった。 |
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道跡 | No.68の表示板 |
《黒地へ下る》 峠から下るとすぐに左右に分岐した。地形からすれば当然右山で下ることになるはずと右に入った。所が倒木と崩落で道ではなくなり、引き返した。左に入ると折り返して右山で下っている。これは行けそう。 途中2ヶ所、沢が崩落していたがどうにか通過できた。道幅は広い所で半間くらい、馬は通れたか。3本目の沢の先で登り道が分岐した。 |
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分岐右の道跡 | 登り道が分岐 |
ほぼトラバース道を行くと突然ガードレールが現れた。黒地から登って来た管理道路の終点だ。道の続きを急斜面に探すが見付からない。とりあえず谷を渡り、適当に県道に出た。 |
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管理道路の終点 | 東海北陸自動車母野トンネル下り線出口 |
これでは面白くないと辺りを探すと、県道の5〜10m上の辺りに道跡があった。その道跡は削平地の縁のササヤブで終わったが、その先には先日車を置いた空き地が見えた。 この位置から黒地集落の民家までは200m。ここで完結にした。 |
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県道の上に続く道跡 | 道跡の最終地点 |
《戻り》 管理道路の終点に向かって急斜面を登るが、ここにどんな道があったのか想像できない。 管理道路に這い上がり、トンネル出口の上部で休憩にした。 |
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急斜面の途中にあった擁壁 | 東海北陸自動車下り線 |
さて、登り道の分岐に来た。どうしようかと考える前にこの道に入っていた。道がなくなっても、適当に下れば元の道に戻れると甘い考え。 尾根状の箇所をジグザグに登り、後はほぼ高低差の無い道跡が続いた。が突然岩場で行きどまった。この岩場を登れば稜線に出るのか??? 岩を登り、上を見るとガケ。正面下を見ると崩れそうな道跡があった。これを進むと見覚えのある倒木、そして峠下の分岐に出合い、黒地峠に戻った。ヤレヤレ |
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行きどまった岩場 | 黒地峠 |
いい陽気の中、峠道を下り上河和の集落に戻り、霊泉寺と早松神社にお参りをして車に戻った。 |
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《後記》 右図は細かい地形が分かる「GISぎふ」の地図を使って道跡をイメージしてみた。 きっと、どちらかの道が通行不能のなり、代わりの道を開いたのだろう。 と考えると、後から開いた道は下だと思う。 岩場の箇所は、元は道と同じ高さにあったものが、段々土の部分の道が下がった結果段差ができ、放棄されたのかも。 |
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《追記 2023/4/27》 『新撰美濃志』武儀郡上河和村の項に、「『黒落峠』は郡上街道筋郡境の山なり。道末は郡上郡勝原村に到る。」の一文があった。 |
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