三等三角点大原

三等三角点大原 郡上市美並町大原 2021年12月9日(木) 地形図「美濃

古い地形図
上の地図は1/5万図 「上有知」(明治42年測量 大正元年発行)、
1/5万図 「金山」(明治44年測量 大正元年発行)を使用しました。

2020年5月14日、関市上之保船山杉山から古道を辿り、郡界尾根の円空峠(近年命名されたもの)の西まで進んだ。
今回は郡上市美並町大原大矢から郡界尾根までの古道を辿りたい。できれば円空峠まで。

ルート地図《時間》

P 09:45
  ↓
三等三角点大原
10:20
  ↓
郡界尾根の石仏 
11:40〜11:50
  ↓
P 13:15

注:鉄塔番号は帰宅後に確定したもので、当日は分からなかった。

《入山地点》

黒線は5万図「美濃」昭和63年修正で確認できる道筋
古道予想ルートの地図
最初は岐阜開閉所北の祠の後から入山し、尾根を登って三角点大原の南で古道に出合えると考えていた。
前日になり自動車道のトンネルが気になった。もしかするとこのトンネルに意味があるかもしれない。

古い地形図と地理院地図と見比べ、この付近を古道が通っていたと考えた。ストリートビューで見ると側道にハシゴがある。
「これだ。道路の建設で道が切られたんだ。」

《駐車場所》

トンネルの西側に車を置いた。身支度をしていると山仕事姿のおじさんがやって来た。早速、集落側を指差して「郡界尾根に向かう道は途切れていますか?」と聞くと、「船山に行く道か。なくなった。」と言われた。(この時、おじさんは全く違う事をイメージしていたようだ。)
また、尾根には石仏があると言われた。


《三等三角点大原へ》

トンネルをくぐり、側道からハシゴを登り、鉄塔(関電飛騨幹線401-1)に着いた。

自動車道下のトンネル 側道に掛かるハシゴ
自動車道下のトンネル 側道に掛かるハシゴ

鉄塔から沢左岸を行くとすぐに丸太橋がある。少し近すぎると思いながらも、これを渡ると関電の木の階段と中電の樹脂の階段が続いている。そして鉄塔(関電飛騨幹線401)。更に巡視路を行くと直登する巡視路が分岐した。

ここでおじさんが言った「そこに見える鉄塔に行ったらイカン。」の意味が分かった。これは古道ではなく巡視専用の道。でも、この位置から尾根を直登すればテッペンは三角点大原。
これを登るとすぐに鉄塔(下牧大島線5)。尾根を登りきると三等三角点大原に着いた。

直登する巡視路 三等三角点大原
直登する巡視路 三等三角点大原

《古道を行く》

三角点から南下すると鉄塔(越美幹線3)、これを過ぎて鞍部に下ると古道に出合った。ここから尾根道を行くと越美幹線4の標示板が谷を指しているので無視して、薄い踏み跡の尾根を行った。

御嶽山 越美幹線4が谷を指している
越美幹線3から御嶽山 越美幹線4が谷を指している

進んで行くと尾根がなくなり、左手方向を振り返ると稜線が見える。よくある、コブを巻いて尾根を間違えるパターンにはまった。

戻って尾根を行くと、越美幹線3と4の標示板があった。と言う事は、手前の鞍部で谷に下っているように見えた巡視路は巻き道だった。

古道を東進し、標高点427mの巻き道は、ほぼ壊滅状態。落ち葉で道跡がはっきりしないし、倒木が多い。ようやく林道の終点に出たが斜面に取り付ける個所がない。仕方なく尾根先端の岩場から取り付いた。

林道終点付近 この尾根を登った
林道終点付近 この尾根を登った

《郡界尾根》

林道終点から古道は確認できず、尾根を直登すると馬瀬二北岐阜線の標示板があったが番号は消えていた。そして鉄塔(馬瀬二北岐阜線56)。

馬瀬二北岐阜線56 白山
馬瀬二北岐阜線56 馬瀬二北岐阜線56から白山

郡界尾根に出合い、これを北進すると石仏が。おじさんが言ったことを思い出した。石仏の所から尾根を越して道が続いている。トラバース道だが、その内に下るのだろうと引き返した。何故ならここで2時間のタイムリミット。石仏の前でお昼にした。

石仏 郡界尾根を越した先の道
寛延四(1751年)とある 郡界尾根を越した先の道

《古道を戻る》

道跡はだんだん薄くなり、もうダメだと思った所に馬瀬二北岐阜線の標示板があった。下に林道が見えるのでこの支尾根を下ると、何とさっき登った尾根で林道の終点近くに下りた。もし無理して先に進んでいたら危ないところだった。

巻き道も古道を正確に辿り、何所に下りるのか、ワクワク。祠の辺りだったら大正解なのだが。
かなり下ると下牧大島線と越美幹線の2・3・4・5の標示板が出て来て、頭は大混乱。送電線の交差点を通過。

無銘の石積み 送電線交差点
無銘の石積み 送電線交差点
左が越美幹線、右が下牧大島線

植林の中の掘れ道を下ると右に分岐する道があり、これを行くと丸太橋があり、そのすぐ先に一番最初の鉄塔があった。道に戻り下ると自動車道が見え、そして広場。ストリートビューで見落としていた。

自動車道が見えた 側道から見る古道の入口
自動車道が見えた 側道から見る古道の入口


側道を100m程歩き、トンネルをくぐって車に戻った。
関電飛騨幹線401−1
トンネルから見る関電飛騨幹線401−1

《思い当たることを整理》

帰宅後、地図に書き込んだ古道の推定ルートを見てみると、郡界尾根の石仏の向こう側はただの巻き道で郡界尾根に戻ると分かった。その位置は2020/5/14の引き返し地点付近。あと150m進んでいたら上之保船山杉山までつながっていた。

前出のおじさんが、「道はなくなった」と言ったのは、東海北陸自動車道で消えたと言う事か。
庚申堂は移転し新築したようだ。もとは船山に向かう道と馬越峠道の追分にあったのかも。
祠の位置は馬越峠道の入口だったと思われる。(上の3番目の地図参照


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