杉山峠はどこ 関市上之保船山杉山 2020年5月14日(木) 地形図「美濃」「金山」 |
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上の地図は1/5万図 「上有知」(明治42年測量 大正元年発行)、 1/5万図 「金山」(明治44年測量 大正元年発行)を使用しました。 |
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《三等三角点白山の「点の記」》 「下川村字大矢ヨリ武儀郡上之保村字船山ニ通スル山路ヲ進ムコト約一里ニシテ杉山峠ニ達ス同所ヨリ右折断続セル樵路ヲ進ムコト約十町ニシテ本点ニ達ス」とある。 上図の県道沿いの水準点132.1から破線(小径)を通って1里は”A”付近になる。 また、「白山」から郡界尾根を南下して10町となるとこれがまた”A”付近となる。 また、三等三角点大原の「点の記」には「下川村字大矢ヨリ山路ヲ東進スルコト約二十町ニシテ本点に達ス」とある。 ∴1里−20町=16町≒1760m 大原から1760m付近は”A”になる。 |
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所が”A”は郡界尾根上で峠ではない。 ただ富之保村雁曽礼からの小径が郡界尾根に出合う所で、現在林道が開通して新たに「円空峠」と名付けられた。 |
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上の古い地形図で白山の南、標高点487mの石仏がある所が上之保村と富之保村の境で、常識的にここが「杉山峠」でなくてはならない。でも、確証がない。 更に、都合の悪いことに峠地形の所で「右折」する個所がない。 点の記に書かれている「右」の文字がで、これを「左」とは読めない。 「点の記」の記載が間違っていると云えばそれまでで、全く面白くない。ここは見に行こう。 (s-ngmさんの記録を参考に、GG-さんから問題を提起された。) |
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《時間》 P 09:40 ⇒ 石仏のある峠 10:25 ⇒ 円空峠 10:50 ⇒ (7・8分進み戻って休憩) ⇒ 円空峠発 11:15 ⇒ 白山手前で引き返す 11:50 ⇒ 53番手前で引き返す 12:10 ⇒ 石仏のある峠 12:35 ⇒ P 13:05 |
《駐車場所》 杉山最奥の前回車を置いた浄水場は、災害復旧工事(対岸のガケ崩れ)の関係者の車が置いてあり、更に林道にまで駐車してある。 大声で作業の方を呼び、車を動かしてもらい、すぐ先の分岐に車を置いた。 |
《石仏のある峠まで》 奥山谷の右岸に渡ろうと、分岐の作業道を下るが橋がない。仕方なくえん堤まで行き河原に下りた。河原は土砂で埋まり、雨裂の深さは最大で3〜4mにもなっている。作業道はほぼ壊滅、きっと平成30年の豪雨のせいだろう。 どうにか谷を渡り、支谷の雨裂を渡り、3つ目の谷の田んぼ跡から取り付いた。s-ngmさんの記録の通り2段目で進めなくなった。左岸を見ると道らしい段差が見えたので、沢を渡りこの道に乗った。 |
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雨水にえぐられた作業道 | 取り付いた田んぼの跡 |
谷の合流点から先は踏み跡もほぼなくなり、倒木だらけ。いよいよ谷がふさがると右手の斜面に薄い踏み跡があり、クイもあった。これを登ると何と立派な道に出合った。とにかく、ここをキープ、マークを付けた。 |
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谷の最終地点 | 出合った道 |
この道を登りきると、待望の石仏に出会えた。 左は明治十五午、右は文政七申とある。 また、2体ともに瘤Rの文字があり、船山村杉山の住人が安置したものだ。 ここからは道なりに円空峠に向かった。 |
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《円空峠》 右山で少し下ると郡界尾根に出合った(B点)。ここから北向きに道が下っている。向きからすると刈安に下るのだろう。郡界尾根は良く踏まれている。 そして円空峠。ここを素通りして対面の尾根を10分を限度に歩くことにした。最初はクッキリあった道も岩尾根の巻き道になるとだんだん薄くなった来た。そして、長い登り斜面の手前で引き返した。 峠の切通しの法面は5〜6mあるが、尾根は直進していたと確信できる。 |
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円空峠 | 円空峠西側の法面 |
《三等三角点白山へ、53番へ》 郡界尾根を戻った。B地点で尾根と分かれ、石仏の所から登り、送電線巡視路に出合ったが、この間は踏み跡なし。そして、見覚えのある林道から登って来た踏み跡との合流点で引き返した。 ここで一計を案じた。53番鉄塔への巡視路は尾根を西へ下っている。ならばB地点から道と合流するのではないか。そうすれば合流点は白山に向かって「右折」となる。そこで50mHを限度にこの巡視路を下ってみることにした。 所が、意外な急な尾根道であっと言う間の80mHも下っていた。と、そこからは前方に53番が見え、54番への巡視路が左手直角に分岐し、下っている。 もし、この54番への巡視路を行って”B”からの道と出合わないと、制限時間(3.5h)を越えてしまう。恐ろしくなって急斜面を登り返した。 |
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54番への巡視路 | 登り返しの道(52・51への巡視路) |
《石仏から下る峠道》 峠道を下る。初めは左山で谷からかなり高い位置を通っている。その内に尾根道になり、すぐに右手の谷に下り、谷道に出合った。次回の為にこの場所を記憶しようと写真を撮り、振り返ると谷の合流点だった。 |
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登りと同じ位置で沢を渡ったが、よく見るとこの沢の左岸に道は続いていて、作業道に下りられるようだ。 帰路、また林道に車が置いてある。でも休憩時間で人が乗っていたので助かった。 |
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峠道と作業道の出合 | |
《聞き取り》 石仏のある場所の地名を確認する為に聞き取りをした。当節、玄関を開けて聞きに回る訳にもいかず、外にいる人を探した。 1人目(70歳くらいの男性):「越してきて7年なので分からない。」(僕の心の声:こんな山奥に越してくる人がいるんだ。) 2人目(80歳代の男性):「自分のうち(土地?)のこともよう分からんから、分からんな。」 ここで心が折れた。 明治の終わりから大正にかけて、津保川沿いの県道や船山谷川沿いの里道が整備され、山越えの交流は途絶えたのだろう。杉山で聞いても誰も知らないかもしれない。 |
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