三等三角点上保木 七宗町神渕 2021年2月20日(土) 地形図「金山』 | |
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『七宗御留山境界絵図』(部分、以下絵図)の「道A」は下段の古い地形図の「道B」に相当する。ならば絵図の「小峠」は古い地形図の「道C」の何所かと推測できる。 ただ、この道Cは室兼から尾根裾を横切って右山で登り、室兼と葛屋の境辺りから登ってきた谷道と出合い、その先は尾根道で、その後谷道になり下市場に下っている。この道筋では峠という地形が見当たらない。 |
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でも「小峠」を探しに行こう。但し、下図「GISぎふ」を見ると、神淵側は作業道が張り巡らされていて道は残っていないと思われる。 |
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《小峠探しの地図》 |
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《時間》 七宗町役場神淵支所 09:25 ↓ 三等三角点上保木 11:25〜11:35 ↓ 七宗町役場神淵支所 12:30 《三角点上保木まで》 神淵支所に車を置き、県道64号に出て葉津川を渡り、ドコモ無線局の横から入山した。道の先にはGISぎふの通りに林道があった、でも草ボウボウ。道の真ん中に1mくらいの杉が育っていた。 |
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廃林道 | 田んぼの跡 |
廃林道が終わると道跡があったが、これも終わり、ヤブを抜けて林道に上がった。これを右山で進むと尾根道になった。しばらくすると古道が右手にあり、これに入った。いい感じの支尾根を横切る所があり、気分は「小峠」。 |
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古道 | 小峠? |
更に進むと中電の標示板が落ち葉に埋もれていた。90°の向きに51と52。 谷に下る巡視路はないが、今現在51と52の間にいると認識した。 (この認識は間違っていた。) 林道に出ようとヤブを抜けると軽ワゴンが目の前を通過し、元気に挨拶をしてくれた。 |
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車の行った方に進むとカーブの所に停まっていた(地図のB地点、帰宅後に頭を整理して推測)。話しを聞くと鉄塔の点検との事。とすると標高点395mの付近にいると考えた。でも巡視路入口の標示板の鉄塔番号は消えていて読めない。 「52番はここからですね。」と聞いたように思うが、返事は「ここから5分くらい。」との事。標高点395m付近にいると思えば51と聞かなければならなかった。(もはやボロボロ) 道に迷っていると思われるのがイヤで、現在地は聞かず、引き返した。A地点まで戻り分岐に入ったが一回りして元の場所!!! そのお陰で現在地がほぼ特定出来た。 仕方なく、右手の支尾根を一つずつ潰して行くことにした。目視で確認できるのは除いて進み、古道の支尾根もパス。松の幼木が密生している尾根は入ってみたが違った。次の尾根は2分くらい進めたので「これだ」と思ったが終わった。林道に戻ると軽ワゴンが帰って行った。 次の尾根は何とさっきの巡視路(地点B)。これに入ると標示板があり、その位置が三角点上保木の尾根の出合と推測した。(51番の方から来て、52番に向かう道。) |
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林道の巡視路入口の標示板(読めない) | 標示板(後方が三角点上保木への尾根) |
道迷いの原因は、古道にあった倒れた意味不明の標示板と、古道に入り林道の分岐をスルーしてしまった為だと思う。 |
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そして尾根を南下、ようやく三等三角点上保木に到着。絶対ポイントで安心しておにぎりタイムとした。 |
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三等三角点上保木 | |
《小穴〜下市場の峠道》 「点の記」通りに下ったが道はない。太陽を左真横に見て進み、沢を渡り峠道に出合った。これはすごい、コンクリート舗装、道幅1.2m。峠は林道との交点だった。 |
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道幅1.2m、コンクリート舗装 | 峠の地蔵さま(天保十一子年) |
峠を越えて進むと、コンクリートの道は分岐し、谷側は行き止まり。えん堤工事で迂回路を作ったようだ。この道はえん堤工事の作業道につながったので墓地の中を下り、沢に下りた。 |
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作業道 | 神田洞の大えん堤 |
県道を横切り進むと葉津川に架かる橋の南詰で旧街道に出合う。そこは下市場〜小峠〜室兼道の分岐でもある。 |
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左:室兼道 右:小穴道 | 分岐にある慰霊碑 |
葉津川左岸の堤防道を行き、県道に出合い、神渕支所の戻った。 《後記》 しっかり迷って、本当に面白かった。次回52番への巡視路を見てからにするべきだが、今の気分で「小峠」は古道が支尾根を横切る所としたい。 何所に特定しても誰も文句は言わない。元々忘れられた峠道だ。 《西尾市岩瀬文庫》 「 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11F0/WJJS07U/2321315100/2321315100100010/mp01921000 」に『七宗御留山絵図』があった。 上麻生山・神渕山・笹洞山・桐洞山・坂東山と記載され鮮明に色分けもされているが、地名は主な谷名だけ、勿論「七宗高山」は記載されていない。 『七宗町史 資料編 附録 七宗御留山境界絵図』とは筆跡も違っている。 きっと、今で言う「白地図」が作られ、模写され、そして、その1枚が太田代官所で細かい地名が書き加えられて、尾張藩から名古屋市博物館に移管されたと云うことか。 |
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右図は上の『七宗御留山境界絵図』と同じ範囲を転載した。 記載された地名は少ないが、神渕村と上麻生村の境界は鮮明に色分けされている。 |
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西尾市岩瀬文庫 「七宗御留山絵図」部分 |
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