自宅から見る東南東の稜線(2018/11/23) | |
前回は鶴里の国界尾根を歩いたので、今回は上画像のB点から曽良山を越えて、曽良山南650mの峠まで歩こうと思った。 また、2005年(敗退)・2006年に旧小原村から西山に行った折に見た、常夜灯が何故そこにあるかを確かめたかった。 (常夜灯が在るということ人馬の往来があったということ。) 結果、国界歩きはササヤブで断念。その上、中宮ヶ入にあった道祖神の道標の表記に納得がいかず、旧道は皆目分からない。 土岐市曽木の美濃国界尾根 2018年12月14日(金) 地形図「明智」 |
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【時間】 常夜灯10:00 → 国界尾根 10:35 → 曽良山 11:00〜11:10 → (引き返し×2) → 曽良山 12:00 → 常夜灯 12:20 《常夜灯〜曽良山》 常夜灯の前に車を置いて出発。少し先にゲートがあり、その先から植林に入った。谷は4分岐していて、地形図にはない。左から2番目の谷に入ったが踏み跡は全くなく、谷は広いが全面ヌタバ状態。 谷の縁を進むが、諦めてササヤブの斜面を登った。時間的には境界尾根だと思ったがムードが違う。1つ鞍部を渡り、斜面を登ると曽木の集落が見えたので境界尾根なのだろうが現在位置は全く不明。 (帰宅後、地形図で記憶を頼りに歩いた地形を探すが該当する所がない。) 境界尾根と思われるササヤブを登ると碍子が木の幹に食い込んでいる。これと同じ物を2006年1月に山頂の南側で見ているので国界尾根だと自信を持った。 |
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常夜灯(奥に見えるくぼみは祠へ登る道。) | 碍子 |
コブのテッペンには南側を削った平たい場所があった。大抵、鳥屋の跡だろう。ササヤブを下るとようやく登山道と出合った。振り返えり、さっきのコブがP683mのB地点と確認した。 豊田側の西山林道は刈り払いされていて記録とは全く様子が違っている。(2005年の記録ではため池で林道は終わっていると書いてある。)そして3回目の山頂だがあっけらかんとして標識が一杯だ。 《南進、敗退》 休憩後、山頂丘を東へ、国界尾根を南進した。テープ類は色々とあり、目を引く白のビニテは山頂丘の下20mであきらめたようだ。次第にササヤブになり左折して次のコブの下りで断念した。 あと少しだけど、今日は体内GPSセンサーの調子が悪いし、ヤブだし。 2006年の地図(下図)にあるB点からの道を探したが痕跡はなかった。更に戻り、山頂丘から東へ下ったがここにも道の痕跡はなかった。 |
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2006年1月1日の推測コース | |
山頂から高社山 | 国界尾根の引き返し地点 |
山頂丘でまた碍子を見付けた。古い画像には2個並んでいるものもあったが、まさか電気柵ではないし何だろう。 |
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碍子(右の画像と同じ物かも) | 碍子(2006/1/1) |
登山道を戻り、西山線から田代3号線で車に戻った。 《旧道はどれ》 中宮ヶ入の道祖神の石碑には「右:曽木、瑞浪 左:細野、柿野」となっている。なら、ため池の北の鞍部から細野に抜けたのか。それならば常夜灯があるのは納得できる。 でも、田代から細野に行くなら川手を通って正福寺に抜けた方がいいような。とすると道標の表記と矛盾する。 1つはっきりしたのは今日歩いた破線路は何の意味もなかった。「明智」の古い地形図が見たくなった。 |
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県道の峠にある馬頭観音の石碑 | 中宮ヶ入の道祖神の石碑 |
《後記》 何てここらはササヤブが深いのだろう。でも2次林の中はそうでもない。 県道の峠道は湯屋坂と言うのだろうか。聞いて回る意欲はなかった。 |
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美濃一人>山名録2018>土岐市曽木の国界尾根 |
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