1994年1月自宅から。今では家が建ち、木々が伸び山頂部しか見えない。 | |
池田富士 370m 多治見市 2018年5月5日(土) 地形図「瀬戸」 《池田富士について》 1994年1月に林道終点から北尾根を登り、参道を下っている。その時は山名は分からず「内津第一峰」と記録した。その年の四月から町内会の班長になり、班長会で聴き取りすると池田から来られた方が「池田富士」と言われた。 また、1999年5月の中日新聞岐阜総合版の『ぎふ県地名考』に「富士山が見えない多治見の富士見町」との記事が載った。すぐに手紙を送ると次の回に訂正された。後にも先にも自分の意見が新聞に載ったのはこれだけだ。 |
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【時間】 駐輪場所 08:50 ↓ 富士見配水池 09:15 ↓ 池田富士 09:40 ↓ 駐輪場所 10:50 |
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上地図の「ババサ岩」の位置は2020/2/8に訂正した。 | |
《電動アシスト自転車VIVI》 17年前に母が買った自転車。6年前に中のニッケル水素電池だけを交換したが、今年になると普賢寺往復1回でダウン。ニッケル水素電池の交換だけで12500円、もうそれ程の価値もない。そこでバイク用の鉛蓄電池(3AH、2073円)を2個購入して電源とした。 所が純正の充電器は2Aの定電流充電なので急速充電になり使えない。仕方なく、1個づつ手持ちのDC電源(10〜24V)で充電していたがめんどく臭い。調べると中華製の昇圧基盤が169円(送料込み)で売っていた。ついでに電流計(382円)と電圧計(206円)も購入。 更に調べると、いつの間にか定電流ダイオードなるものが世の中に存在している。350mAでちょうど10時間率にピッタリ。ただし残量0からマックスまで充電しようとすると(30V−21V)×0.3A=2.7Wでチンチコチン。放熱板を付けても無理なので電圧を3段階くらいに分けて充電することにした。 |
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左の木枠内が鉛蓄電池。右の下が35年くらい前に作ったDC電源。その上に乗っているのが中華製の基盤で作った昇圧モジュール。 今、いろんなセンサーや警報の基盤を頼んでいる。納期さえ気にしなければ、激安中華製基盤は面白そうだ。 山よりも面白いかもしれない。 |
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《駐輪場所まで》 閑話休題。相変わらず車で出かける気にならないので、高社山よりは少し遠い山へ、自転車で。 池田の信号から南下して下街道に出て、常夜灯・地蔵堂、「池田のエノキ」の所で下街道と分かれて廿原に向かう観音寺川沿いの狭い道(市道422020号)に入る。急カーブの所で観音寺川と離れる。ここに駐輪。以前、四等三角点金毘羅山を探した時もここに置いたが、竹藪で進めなかった。 |
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常夜灯 | 地蔵堂と池田のエノキ |
地形図の破線路 橋が流されている所が2ヶ所。左に行ったり右に行ったりするが、元々は左岸に道があったようだ。そして谷を離れ登り始めた。変だ変だと思いながらも道なりに進むと、富士見配水池のゲート前に出た。 (取り消し線2020/2/10追加) |
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流された橋 | 流された橋 |
道はしっかり残っている | 富士見配水池 |
ゲート前から舗装道路を下り、道跡の出合を探すとピンクのテープが結んであった。それではと対面に道跡を探すが植林とササと舗装道路で消えていた。 《池田富士へ》 T字路には池田富士への道標がある。地道の林道を行くと不自然な向きの鳥居があるが林道が出来るまでは「いい向き」だったのだろう。鳥居の横に道標があるが後述する。 林道と分かれると参道は残っている。所が荷造りヒモで「おらの山だ」の表示。高社山もこんな状態だったがナタで切って今は大分良くなった。そして、24年前にはなかった林道を横切り山頂に着いた。 |
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鳥居 | 荷造りヒモ |
《山頂は》 アレレというくらいさっぱりしている。北東方向は切り開かれていて多治見労山の山名標があった。 |
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左:白山大権現(向きは110度) | 展望 |
1号池と我が家 | 陶板の山名標 |
《下山》 林道を西に下ったが向きがおかしいのでカーブのテッペンからヤブを抜けて山頂に戻り、今度は林道を東に下ったが自信が持てず、またカーブのテッペンからヤブを抜けて参道に戻った。その途中に岩の上に祠の残骸を見付けた。 |
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林道から弥勒山北419m峰 | 祠の残骸 |
《追記2024/6/15》 2024/6/15、多治見市の「池田郷富士浅間の由縁書を読む」の講座に参加した。内容は古文書の解説だったので自分には難し過ぎたが収獲が2つあった。 山頂の祠、右は浅間神社・白山神社・立山神社の三社が祀れれており、左は役行者だという。1994/1に初めて登った時は頭の無い色鮮やかな陶器製の人形があったが、この時は頭の有る色あせた人形だった。 |
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上右画像の祠の残骸は右の絵地図によれば「八大龍王」の祠跡だと分かる。 |
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池田町屋村村図(部分) | |
《ババサ岩》 帰路も道跡を行く。岩壁はあるがこれと言って特徴的な岩はない。もう少しで谷の合流点という所で、左岸の尾根上に大岩が見える。20m程登ると7〜8mの立岩があり、その下に墓石大の立岩もある。 これが「ババサ岩」なのか、写真を持って池田町屋郷土資料館に行ってみよう。 (追記2020/2/8:この岩はババサ岩ではない。2020年2月8日のページに記載。) |
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小さい立岩 |
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大きい立岩 | |
《道標》 鳥居の所にある道標は元々下街道にあったものを国道拡張工事の際に現在位置に移したと多治見市の資料で読んだことがある。(2019/07/19追記 『池田町屋郷土史』より) 所が「右:いせ」は下街道名古屋向きでいいが、「左:廿原」に該当する場所がない。ここで伝家の宝刀、明治32年9月発行の5万図「瀬戸村」を見ると下図の通りになった。 ただ、この地形図には凡例がなく、太い破線が道を表しているかどうかは分からない。 |
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池田富士(山頂を通過する林道の終点探し)のページへ |
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美濃一人>山名録2018>池田富士 |
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