大槻山

大槻山 664.9m 白川町 2015年11月13日(金) 地形図「金山
注:標高は「国有林野施業実施計画図」による

御留山境界絵図の部分《野原城の見張り場》

『御留山境界絵図』には小川付近とヒロシマの奥の2ヶ所に「城山」との記載がある。
この2ヶ所は野原(のわら)城の見張り場だったと思っている。

谷との位置関係から所在地を推測し、カシバードで見ると、小川の城山からは新津の先まで、広島の城山からは広島はもちろん、大利、島が見通せる。

また、野原城跡からは、両城山とも叫べば聞こえるくらいの距離に感じられた。(ちょっと誇張)

広島の城山辺りは「みのかもから山登り」さんの記録がある。

また、小川の城山付近には金毘羅さんがお祀りされているらしい。

3年半前の宿題を片付る為、今回は広島の城山を探す。削平地でもあれば大満足なのだが。

小川の城山の記録へ


コース地図
コース地図

【登り】

P(白川北保育園)08:45−尾根に付く−主尾根に着く10:00−国有林界10:55−山頂11:15

【下り】

山頂11:25−休憩(11:40〜11:55)−登り道との分岐12:50−P13:35


《白川北保育園から大洞谷》

保育園の裏は擁壁の工事中だったが、保育園の方にお願いして車を置かせてもらった。そして、砂防ダム建設の為の作業道から入山した。工事終了から7年の歳月が経ち、草がぼうぼう。何故だか、1つ目のえん堤を過ぎると道はなくなる。

アッ! 河原に下りるときヒザに違和感を感じた。ヤッタようだ。北小木の県境谷でやったよりも重症な感じ。とは言え、今更引き返せない。谷との相性はつくづく悪いようだ。第2ダムは右側を高巻いた。

石も倒木も苔むした谷を行くが踏み跡らしいものはない。左手の尾根が低くなり、この上に広島林道が通っているのだろう。
白川北保育園 工事現場 登山口
右から白川北保育園、工事現場、今日の登山口。


《尾根を登る》

もっとも尾根らしい尾根に取り付いた。しかし、けもの道もない。紙テープを付け、枝を折りながら急な斜面を登っていく。何時しかヒザの痛みも忘れていた。

主尾根に出合うと、白川町の地籍調査の為の標識だろうかプラスチックの板が、右にも左にも続いている。その上に見出しの為のピンクのテープも付けてある。でも、踏み跡らしいものはない。

そして、城山と目星を付けた所に来たようだ。確かに平坦で広い、がこれが人工的なものかどうかは分からない。400年以上前の話しだから、尾根上とはいえ変化しているだろう。

標識とテープ 城山?
標識とテープ 城山?(左の画像の方が広く見えるのが残念)

岩尾根になると、大利の集落が見える。なら、ヤグラを組まなくても小屋掛けすれば見張り場としては十分だ。
大岩
とっ突然、眼前に大岩が現れた。左は崖、右も足場がない。もう帰ろかな。

見ると、右下に足がかりが見えた。一旦下り、横移動、倒木が邪魔をするが登れそうな所があった。

この岩をどうにか乗り越したが、灌木の少ない岩尾根が続いた。

そして振り返ると大山白山・田代山・大畑山辺りの大展望。写真を撮ろうにも支えになる木がなく、足元が不安定。


田代山
田代山(左:広島 右:大利)

そして、国有林界に出合った時には大汗(冷や汗も含む)をかいていた。


《国有林界を大槻山へ》

緊張がほぐれたのか、ヒザが痛いのを思い出した。ガマンにガマンを重ね大槻山の山頂に着いた。
祠はなくなり、その場所には以前祠の横にあった「七宗大権現」の石碑が鎮座していた。そして、図根点大平の境界標を確認すると確かに「御料○三角○」の文字。


《七宗権現について補足》

七宗権現は七宗山(飛騨川、神淵川、菅田川に囲まれた山域)の七つの高峰(中の権現山・御手洗山・細洞山・白川山・大槻山・水晶山・金が嶽)にそれぞれに祀られていたと思っていた。
所が『白川町誌』には「金が嶽を除く他の六峰には、いずれも七宗権現の碑が建てられている」と書いてある。
「えッ!七宗権現の峰は六つなんだ」と初めて知った。
しかも昭和38年刊行なので、つい最近まで石碑があったの!!!??
そんなアホな!!!!!

図根点大平 大月権現
図根点大平 大月権現

《下山》

展望の良い所まで戻りお昼にしたが、足場が悪く、座り心地も最低。でも御嶽も恵那山も見えた。
さて、当然往路を戻る。とても三角点下切の尾根まで行く元気はない。

紙テープを懐に回収しながら大岩まで来た。テープに沿って下るがテープは3ヶ所のみ、必死だったのでそれ以外付けていなかった。通った記憶のない所の倒木をくぐり岩の先端に出るとまだ3m以上ある。戻って更に5・6m下り、どうにか鞍部に戻れた。

もう大丈夫と登りの支尾根の分岐を通過し、標識に沿って下った。えん堤を見下ろす所を過ぎるとピンクのテープがなくなり岩のガケの上。今更引き返せない。辺りを探すとテープは手前のガケを下っている。これ以外に選択肢はないと下ったが、滑ればえん堤まで落ちそうだ。

尾根に復帰し、進むと保育園が見える。古い共聴アンテナを過ぎるとまた岩のガケの上。これは適当に避ける事ができ、標識と別れ、植林内を下るとお茶畑があり国道に下りられた。ここから150mで保育園。お礼に寄ると今朝の職員の方がみえた。

国有林界にあったボルトの生えた切り株 白川北保育園
国有林界にあったボルトの生えた切り株 白川北保育園

《後記》

砂防ダム工事の作業道と国有林界以外に道はなかった。大岩もあり、このルートは2度と歩きたくない。
また、谷から主尾根の合流点まで紙テープを残してしまった。
なお、2008年12月には地籍調査の杭はないように見える。

削平地は確認できず、ヒザを痛め、さんざんな山歩きに終わった。

翌日、整形外科に行くと、包帯とサポータでヒザを固定された。また、当分ダメか。


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