大槻山 664.9m 白川町 2016年1月31日(日) 地形図「金山」 《今日の目的》 昨年11月13日、七宗御留山境界絵図に描かれている広島の城山を見に行った。今回は小川の城山を見に行く。出来れば聞き取りもしたい。 しかし、下りの尾根は間違いそうな気がする。 【上り】 P08:50−国有林界出合09:45 −大槻山10:05 【下り】 大槻山10:30−城山12:15−(P371m) −城山12:45−P13:35 |
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《上り》 小川の最奥の舗装が終わる所に車を置かせてもらう。西の谷を確認して出発。すぐに目指す尾根の端に着いた。どこでも尾根の取り付きは急だとはいえ、これはきつい。100mHほどをよじ登り、尾根らしくなると踏み跡が出てきた。 更に、50mHほど上ると植林は終わり、雑木林の中に明確な道がある。やはりこの道が小川からの参道だったのだろう。緊張感もなくなりブラブラ歩いていると道が途切れた。かなり以前の山抜けの跡に出くわした。 四つん這いで恐る恐る10mHくらいを上り切ると、また道が出てきた。そして国有林界に出合う。境界標は355。もう安心と手入れのいい道を上ると2ヶ月半ぶりの大槻山山頂。 |
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尾根道 | 国有林界出合 | ||
《城山まで》 右地図の地点Aでは少々迷った。プラ板の境界標はあるのだが、境界見出しのためのテープはなくなっている。 B地点では少し行き過ぎた感じがして、方角を確認している時、後方に尾根を視認できた。斜面は地形図から受ける感じとは違いかなり急だった。 鞍部を通り、次のコブは460mくらいと考え北に進んだ。ところが、右手に小川の集落が見えてきた。「?マーク」が10ケくらい並んだ。見えるなら左手だ。 方角はOK、でもおかしい。振り返ると尾根が見えた。ここで等高線の読み間違えに気付くお粗末さ。その上に510mのコブは西側を巻いたので尾根に気付かなかったようだ。(C地点) 城山の西のコブでも行き過ぎたが、割と浅手だった。鞍部から岩尾根を上ると城山山頂。 |
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《城山にて》 まずはビックリ。コブのすぐ下に横穴がある。そう深くはなさそうだが、まさか竪堀。コブの上には削平地を確認。曲輪跡と思える段差が2・3段見える。北側あるので鳥屋場ではないだろう。 念の為、P371mまで行ってみるとワンカップの空き瓶が2つ。ここには祠があった雰囲気がある。ここから直進すると出合に下りそうなので城山まで戻った。 |
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穴(答えは後記) | 城山山頂 | ||
平坦地 | P371m | ||
《下山》 北に下り、尾根の乗り換えで少しモタモタ。植林の中を適当に下ると金比羅山大権現・秋葉山大権現の石碑があり、そこからは道があった。次は天○大自○天神の石碑。その次は津島神社の祠。次は何やら祠と穴。そして石碑。大岩の下には役行者の像。 ここはたくさんの神様がおられるようだ。 そして、板が渡してあり川を渡る。さて、集落内で聞き取り。 |
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《村内で聞き取り》 「金比羅さんの石碑の上の山にお城があったという話しはありますか。」と聞いた。 いろいろ話してくださったが、詳しい人がいると言われ、その方の家に伺った。 1.マンガン鉱の採掘の際に平坦地ができたのではないか。 2.城があったかと聞きに来る人がいるが、村内にはそういう言い伝えはない。 3.飛騨に行くには葉津から常蓮寺峠を越すのがメインルートだったので否定はできないが。 とにかく、伝承はないとの事。しかし、マンガン鉱採掘の際にコブのテッペンを削る必要はないように思える。現に小屋跡らしい平地はコブの東側の下にあった。 それにしても、同じような事を聞きに来る同好の士がいるとは「不亦樂乎」。 そんな思いを抱いて車に戻った。 |
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