カラス倉峠 570m 七宗町 2015年10月3日(土) 地形図「金山」 |
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郷土史の信頼性を疑う事例が2件連続し、三角点高屋は従来通り「室兼高屋」としたい。 (2015/10/10訂正) |
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《土塚十四番「ハシ谷タキ上」は何処か?》 橋谷は現在の国有林界を2回横切っている。そのどちらに十四番を比定するのかという問題。 地形図で見ればフッタの付近の滝の落ち口が最も適当と思われ、現地でもそう感じた。所が先日(8月17日)可児市図書館で『七宗町史』を閲覧すると昭和22年に御座薙、栃洞、野掛、橋谷が食糧増産の為に開拓地になり、その後昭和27年、町に所属替えになったという。 御座薙(ゴザナギ):下呂市育成牛センターの所在地(下呂市金山町) 栃洞:葛屋川支流栃洞の奥 野掛:七宗遊園付近(スケガ谷と栃洞の分岐点付近) 橋谷:橋谷の奥の福田(フッタ、この地名は江戸期からある。上記地図で境界がくぼんだ箇所。) 七宗国有林の境界標は主に石標であるのに対し、開拓地はコンクリート標である。また、栃洞以外の3ヶ所の境界標は「○○補○○」となっている。 上記の点から江戸期にフッタは御留山内であり、土塚十四番は現在のゲートから南西の地点にあったことになる。 s-ngmさんによれば境界標526の辺りで、すぐ下に20mほどの滝があると言う。 |
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【時間】 ゲート 08:40 ↓ 鬼越峠 09:35 ↓ 麻生高屋(図根点遠見) 09:55 ↓ カラス倉峠 11:00 ↓ (林道で昼食10分) ↓ 口高ヤ 12:20 ↓ フカ谷峠 13:15 ↓ ゲート 14:35 《菅田大柿林道、鬼越峠から麻生高屋》 林班界の歩道が整備されていたり、新しい作業道が開かれたりと伐採が行われているようで、寒八林道分岐付近の作業小屋周辺には丸太が置かれていた。 麻生高屋の取り付き付近にも新しい作業道が開かれていて、これを行って頃合いの所から取り付いた方が早そうだ。 久しぶりに山頂のコンクリート枠を見て細洞林道に下山。 《カラス倉峠》 細洞林道の切り通しの箇所から取り付く。岩に掛けた梯子はすでに朽ちているし、桟道もぼろぼろ。岩場を越すと踏み跡が交錯している。ここは安全を優先して尾根を歩く。と、エンジン音が聞こえる。次に行きたい尾根を見ると、重機が作業している。 尾根上の最期の境界標石を確認せず、594mPを越えた。 この辺りで馬が歩ける程の道の痕跡を探した。(理由は別ページにて) しかしシャレ山に向かってはヤブの中に黄色のプラ杭、西には多少の道があるが594mPを巻く道は無かった。 カラス倉峠(境界標639)まで戻り、急斜面の下を見る。この40m下の国有林界の先に道があるかもしれない。 s-ngmさんが柿ヶ夫林道から登られた時、地形図(数値地図25000)の「七宗町」の「宗」の字の下辺りの尾根に道があったと言う。その道の続きが、右の国有林の地図にある637から南へ続く破線路かもしれない。 かなり急な斜面だけど・・・、2度3度行ったり来たり。なかなか決心がつかない。 (先日、北小木で県境谷を飛び越えた時ヒザを痛めたので)エィッ。 下った所は637号、はっきりした道が南の尾根を巻いていた。が、それ以上は無理。639号に登り返して、細洞林道を目指す。 往路では気が付かなかったが、国有林界は右の地図とは違って、尾根の西側を通っていた。そして651号の岩石標を見に行く。 |
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カラス倉峠下637号から西を見る | カラス倉峠下637号から東を見る | |
649・650・651の3ヶ所が岩石標だった。七宗国有林で初めて見た。 |
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萱原からシャレ山の稜線、手前の峰が594mP | 室兼高屋 | |
《太郎治小屋跡を探しに、土塚十番口高ヤへ》 (詳細は別のページで説明しますが、この尾根の平坦地に石積みと石碑があると思った。) 林道に戻り、工事現場が昼休みの内に入りたいと、大急ぎでおにぎりを食べ、工事現場に向かった。 入口で休憩中のおじさんに、この尾根の奥を見に行きたい旨を告げ、許可を受けた。 出来るだけ尾根上を歩き、先端部に着いた。そこには境界標603。しかし、ギリギリまで林道が開削されていて何もない。 念の為、更に300mほど南下したが、それらしい痕跡はなかった。12時45分に現場を離れた。 |
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境界標603 | 603号から林道工事現場を見る | |
《土塚十一番フカ谷峠》 更に念の為、次の尾根を確認に入った。土捨て場から歩道が続いているが、ここでヒモ氏の登場となった。4m間隔でヒモが結んである。 左山から鞍部で右山になり、急な道を下って行くと境界標594。尾根に上がると595号。ここがフカ谷峠か。西は下ったら登れない急な斜面、東は下れそうだが、その用事もない。 勿論、ここにも何もなかった。 《復路、菅田大柿林道にて》 気を付けて見ると、歩道の入口のほとんどに青いヒモが結んである。ヒモ氏はこの辺りすべてを歩いているようだ。彼にとって、このヒモはオブジェなのだろう。 ある人が三角点名と日付を書き込んだ黄色い合板を吊るすのと同じなんだ。「私はここを歩いたぞ」と言いたいのだろう。 それにしても、ヒモ氏がもし地図を作っていたら、管理歩道の詳細な地図になるだろう。 帰宅後画像を見ると、カラス倉峠下の境界標見出し標にも青いヒモが写り込んでいた。あの国有林界の歩道は何処まで行けるのか、何所に抜けるのか、教えてもらいたい。 |
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