点名福来 684.8m 三棟山 629.6m 白川町・金山町 2012年6月1日 地形図「金山」
金山町内の国境を歩く(飛騨川〜三棟山)へリンク
このページ内にある「佐見峠」は地名として存在せず、地図上の位置も無意味です。
(2016年12月19日追記)
【時間】
P09:10−点名福来09:45−林道出合09:55−18番鉄塔10:35−佐見峠10:55−三棟山11:15
三棟山11:40−佐見峠への分岐11:55−18番鉄塔12:15−点名福来12:50−P13:15
《金山町内の美濃飛騨
旧益田郡金山町は美濃飛騨の国境を越えて合併した。その為、町内に国境がある。ただ飛騨川以東の国境は分かり辛い。天保年間の『細見美濃国絵図』では、国境は尾根のイメージがある。しかし詳細は不明。
大まかな国境は地勢図で分かるが、詳しくは分からない。ただ、「国境争論地」の石碑は飛騨川以東の国境の絶対地点であり、ここを基点に分水界を国境と仮定した。
国境争論地「裁許絵図」の一部 WebSite「下呂ナビ」様の掲載許可をうけています |
国境争論地の石碑 |
《今回の目標》
白川町の渡合と室山の間の、佐見峠から中津原へ至る破線路を歩こうと思ったが、標高差がある。その時、「山歩記」さんの白川町界の三角点シリーズ「福来 点名」を思い出した。それを参考に手っ取り早く国界尾根に乗り、点名福来を通過して金山町内の国境に入ることにした。
《点名
途中工事中の林道に迷い込んだが、どうにかそれらしい道の分岐に着いた。右カーブの広場に車を置かせてもらい、カーブのテッペンの道に入った。
林道のようだがすぐに終点。ここまでも、ここからもビニール紐のオンパレード。間違った踏み跡に付けたビニール紐は回収せず、そのまんま。ミスリードされる。この無秩序なマーカーの付け方は点名萱原・点名川浦で見たのと同じ。実に不愉快だ。
鞍部に上るとコンクリート柱があった。「丸に宮」ではなく「丸に下」。下原町の財産区かと思ったが飛騨川の対岸なので違うだろう。
不愉快ながらも三角点までの我慢と、ビニール紐にリードされる。少し高い所に三角点はあった。三角点からは「丸に中」の標柱に変わった。中津原の事か。
丸に下の境界標識 | 点名福来 | 丸に中の境界標識 |
《18番鉄塔まで》
福来から下った鞍部には林道が開削され、尾根を越えている。法面が高くて下れない。仕方なく北側の傾斜の緩い個所を見付けて林道に下りた。
鞍部からは明確な道が左山で続いていて少し歩いたが、国境を歩かないと意味がないので尾根に戻った。登り切ると標高点671m、白川町・金山町の境界の切り開きが南へ下っていた。
新設林道 | 巻き道 |
高低差の無い尾根道を行くと右に曲がる。下りかけたが、佐見峠からの踏み跡があるはずと辺りを探した。でも、それらしい分岐はない。下って行くと鞍部で道と合流した。林道出合の道は671mPの巻き道と知った。
間伐された植林を右に見て進むと、18番鉄塔に着くが、意外と展望がある。
中電標示板 | 三棟山 | 高天良山と点名福来(右) |
《佐見峠を通って三棟山へ》
18番鉄塔からも巡視路を行かず国界尾根を歩く。19番鉄塔が木の間越しに見えたところから踏み跡がなくなった。疎林の中を下ると道に出合い右へ、トラバースして沢を渡り鞍部に出た。ここが佐見峠か。とすると19番鉄塔付近からは間違って東の支尾根に入ったようだ。
佐見峠(飛騨側から見る 2012/6/4) |
正面の尾根を登る。道が平たくなるとふみ跡がなくなった。20番鉄塔が見えるが少々きつい。鉄塔から巡視路に入り、北へ下ると鞍部に出た。ここで巡視路はT字路になるが、そのまま直進し、北西の斜面を登る。踏み跡を拾い登りきると道があり、すぐに三棟山山頂に到着。
権現さまにお礼を言い、展望台でお昼にした。
《下山》
山頂からは「山たまご東海岳行」さんの三棟山のページにあるフェンスまでを確認しようと思ったが、時間切れ。下山することにした。
三山大権現、今日はここまで |
帰路は登山道を下り、佐見峠への分岐に入るとすぐに19番鉄塔への巡視路の分岐になる。尾根からトラバースして19番鉄塔の20mくらい下を通る。18番鉄塔への巡視路は右折するが道は続いている。
鉄塔を通過し、朝確認した671mPの巻き道を行く。すこぶる上等とはいかないがそこそこの道だ。そして点名福来を通り、車に戻った。
《思い当たる事》
671mPの東で佐見峠から登って来る破線路がなかった。佐見峠からわざわざ671mPまで登らずに550mくらいの所にトラバースする道があると考えた方が現実的。(未確認)
佐見峠から18番鉄塔直下までの道は、まだ先に伸びていたので、671mP北側の巻き道に続いていたと思われる。とすれば萬福寺から高寺神社への参道の一部と考えると面白い。
室山から高寺神社への参道は確認できなかった。集落内の祠に参道の登り口があったらしいが、「これだ」と断定できる人には巡り会えなかった。