オク高屋 605m 七宗町 2012年3月15日 地形図「金山」>七宗高山詳細地図
【時間】 車道終点 10:20 ‖ 岩尾根引返す 10:40 ‖ 巡視路入口 10:55 ‖ 9番鉄塔 11:25 ‖ おく高屋 12:05〜12:20 ‖ 11番鉄塔 13:05 ‖ 神社跡 13:25 ‖ 点名大瀬上 13:35 ‖ 山神様 13:50 ‖ 車道終点 14:05 |
《大崎にて》
国道41号から大崎の集落に入ると、ちょうどいい所におじいさんがみえたので、お話しをお聞きする。
まずは字名 = 大崎と柿ヶ野を1つにして大柿(おおかき)になった。
地図を見せてこの鉄塔(9番)に行くには = ○○は行ったらダメ、絶対に登れない。橋谷まで行くと巡視路がある。
10番鉄塔の尾根を指差し、あの尾根は下れますか = 下れるよ。また、西の尾根からも下れるし、途中に山神様をある。
橋谷の流れの落ち口から上の平地は「フッタ」と言って昔人が住んでいたとの事。
最奥の広場の隅で準備をしていると、さっきのおじいさんが来られて、「橋谷から尾根に上がったら、一旦舟谷の方に下るよう」にと教えて下さった。ご親切に頭が下がった。
《尾根へ》
高山本線を横切り、簡易水道の施設の前を行くとよど掛けをした石仏が三体、どう見てもお地蔵さまには見えないが。その後から尾根に取付いた。急な斜面に石積みの道、地形図の「高山本線」の「本」の字の下にこんな地形が隠れていたとは。ここまでは良かった。
電光形で登り切ると岩尾根になった。5mほど行った。先を見ると細い岩の上に鉄筋が打ってあり、ワイヤーが岩に巻かれている。しかし、その先を見る勇気がなかった。おじいさんが言った「○○は絶対登れない」はここの事だと分かり、一目散に引返した。
舟谷の2段の滝 | 岩尾根 |
《巡視路からオク高屋へ》
高山本線の擁壁の後を歩き、橋谷まで行くと中電の標示板があった。最初の分岐は登る方に入るが、トラバースする道は「フッタ」へ向かうのか。尾根に上がると舟谷側に下る道があるが尾根を行くと9番鉄塔に着く。
10番へ向かう巡視路の方を見ると木々の間から滝が見えるが、これは写真の上段の滝だろう。
おじいさんが言ったように下る道に入ろうとも思ったが滝の落ち口の上を歩くのを敬遠し、尾根を直登した。多少ヤブっぽいが、その内に道と出合い、コブを巻くと現在位置が分からなくなった。
この辺りでは結構雪が降り、視界が悪くなり心細くなってしまった。また時間も遅く15時30分の帰宅時間に間に合わせる為にはピストンになると思い尾根の出合にマークを付けた。
現在位置が分からないままとりあえず高い方へ向かった。黄色い杭の植林界、これは間違いないと思いつつも不安だったがピークに立つと見覚えのある石積みがあった。
9番鉄塔 | オク高屋山頂 |
《オク高屋山頂にて》
石積みは前に見た時よりも高くなっていて、僕も小石を1つ積んだ。
さあ、引返すか周回するか。もし周回して大崎に下れなかったら、勝に下り、車道を1時間以上歩かなければならない。そうなればタイムオーバー。
おじいさんは10番鉄塔の尾根からも下れると言っていた。今までの道の状況からすれば、おじいさんの言った事は全て現状に符合するので、周回することにし北西へ下った。
《11番鉄塔まで》
100mほど進むと林道終点に下る尾根との分岐、これを南下する。踏み跡程度の道もしばらくすると道に出合った。この道はオク高屋の山頂下で分岐した道なのだろう。この道を下ると左山になった。これがきっと「みのかもから山登り」さんのページにあった巻き道なのだろう。
尾根に出合うと開けた所になり10番鉄塔への標示板があった。さて、この時刻なら三角点まで行けるだろうと先を急ぐ。ヌタ場が連続する広い尾根を行くと11番鉄塔に着いた。
巻き道 | ヌタ場の続く尾根 |
ここからは展望が開け、点名河岐から、今から向かう点名大瀬上までが見通せる。
河岐(中央一番奥) | 大瀬上(手前) |
《天神神社跡・大瀬上まで》
南へ下ると左手が植林になった。麓から見た山神さまは植林界にあったのでこの辺りを探したが大崎に下る道はなく、不安を抱きつつ進む。神社跡の拝殿が見えると左手に下る道があった。これで安心して三角点まで行ける。
拝殿の右横から道に入ったが、登るどころか下りだした。この道はきっと尾根の先端まで続いているのだろう。
仕方なく直登すると点名大瀬上(おおせのうえ)があったが、金属標識であまり有り難味がない。
天神神社跡 | 点名大瀬上 |
《大崎へ下る》
三角点から引返し、尾根を下ると本殿の跡に下りた。ここから大崎に下る道に入るが、よく踏まれた道も山神さまのある岩場からは不安定になり、斜面には落石防護のネットが張ってある。すぐに今度は稲荷大明神の石碑がある。
山神さま | 稲荷大明神の碑(どう見ても子供の横顔) |
すぐ下に車道が見えるが一向に下っていかず、ようやく洞谷のえん堤から右岸に道があり、下った先はおじいさんの家の隣の2軒目と3軒目の間だった。
《再び、大崎にて》
おじいさんの家にお礼に行き、またお話しを聞く。
大瀬は「オオゼ」と言い、地形図の飛水峡の辺りのことだという。またこの尾根の先端部はハナブサ(字名)とのこと。
柿ヶ野から白川町の現白川口に抜ける道があったという。(注:地形図の「坂ノ東」の「坂」の字のある谷が黒谷で、この谷に道があったのだろう。)
《七宗山の地名に関して》
『七宗町史・史料編』の「七宗巡山日数多少積」に「勘八御登山笹ヶたわ、ふった、野口小屋御休、柿ヶ野御泊」と書かれている。今回、この中の「ふった」の位置が分かったので予想ルートが少し伸びた。
また、国有林界がそのフッタ(福田)の辺りで大きく内側に入り込んでる意味も納得できる。