大原の久々利街道

「首切り地蔵」と「水弘法」の舞台になった大原の久々利街道下部に訂正あり
平成30年2月28日起稿    
久々利街道(内津妙見神社から大原の犬山街道分岐までのページへ)

昨年11月、高社山の反射板の所でお会いしたたじみん!!さんのブログで多治見市のHPにウオーキングコース100選マップ」なるものがあることを知った。

そして、2017年11月24日の記事にある「コース94根本・大原の古道梅の花咲く今渡街道コース」に興味を持った。

多治見市のHPのマップを見ると久々利街道は大原町内の「あの道だ」と思った。所が記事を読み進めると「道を間違った」と書いてある。そんなバカな、間違えるはずないとマップを見直すと大沢川左岸にルートが描いてある。

これはかなり驚いた。家の近所に、もしかしたら江戸時代の道が残っている。是非見たい。
調べると、集落側の右岸から入った記事が見付かった。ならばと2月27日午後行ってみた。

地図


自転車に乗り、午後の暖かい日差しを受けて普賢寺に、何時もの所に駐輪した。普賢寺前を通り、吉(土に口、きっさか)坂橋を渡ると竹藪の中の掘れ道になる。すぐに水弘法。お参りされている方がみえるようできれいに飾られている。

吉坂橋 掘れ道
吉坂橋 掘れ道

水弘法 水弘法
水弘法 水弘法

U字カーブの先にはお稲荷さんの祠があり、またカーブ。
そして、峠になった。そこには双体の姿がある念仏供養碑と台座から落ち地面に横になったお地蔵さま。普通の石仏より一回り大きくて高い台座には戻せないのだろう。
枝道の少し先には「物故○○」と書かれた石碑がある。無縁仏を祀ってあるのか。

お稲荷さん 念仏供養碑
お稲荷さん 念仏供養碑
人物は如来ではないし、観音さま?珍しい。

お地蔵さま 石碑
台座から落ち地面に置かれたお地蔵さま 物故〇月元澄姑弥と書かれた石碑


その枝道を行くと15mくらい先に普賢寺内の西国三十三観音の二十七番観音が居られた。本道に戻り、先に進むが荒れ放題の道。脇に山神さまの石碑があり、踏み跡を進むと林道に下りた。

右が本道だろうが、左へ行くと分岐があり、鶏糞の臭いがしてきた。ここで引き返し廃林道を進むと左に踏み跡が分岐、これが久々利街道の続きになるのだろう。そして一段高い車道に出た。

山神さま 左が街道跡、右が廃林道
山神さま 左が街道跡、右が廃林道


車道を歩き、国道248号バイパスまで行ってみた。バロー根本店の南200mのX字交差点(今渡街道の合流点)に行く街道筋はバイパス工事でなくなったと思ったが、地形から見ると今の道筋がほぼ街道筋に重なるようだ。

248バイパスをくぐる道 高社山
248バイパスをくぐる道 高社山(真ん中辺りが高社神社)


ここで引き返した。吉坂橋を渡り、真っすぐにある久々利街道跡を行くと集落内の舗装道路になり街道筋は分からなくなった。通りがかりのおじさんに聞いたが「サァ~」という返事だった。

久々利街道跡 久々利街道跡
集落側の久々利街道跡から吉坂橋を見る 久々利街道跡


以下、底本は『たじみの昔話』。
(多治見図書館開架、デジタル版はhttp://enaehon.client.jp/mukasibanasi.htmにあります。)

「首切り地蔵」に出てくる「鳥居が根のとうげ」は上記の峠のことだろう。お稲荷さんの付近に赤い鳥居があったのかも。そして、台座から落ちた地蔵さまは「首切り地蔵」の後釜か。

2018/03/15追記
多治見市のHP、ウォーキングの《コース72》に「首切り地蔵は今渡街道の勤労者センター付近にあった。」とある。戦前の地図を見ると今渡街道(多治見街道)は稲荷山(三等三角点大原、伊藤稲荷神社の山)の麓に大原川まで尾根が突き出た地点があり、これが「鳥居が根のとうげ」かも知れない。(現小泉町も大原村)
地図







右図は5万分の1地形図
「美濃加茂」応修昭和26年


【昔話「首切り地蔵」の舞台、鳥居が根の峠の考察】

2019年7月7日追記



右図は大正元年発行5万分の1地形図「太田」
(「太田」は「美濃加茂」の旧図名)

病院の地図記号は明治37年、赤痢が大流行したときの避病院(隔離施設)か?





《s-ngm氏の調査》

s-ngmさんが多治見市勤労者センター付近で聴き取りをされ、『翁のたわごと』の著者の息子さんと出合われて同書を閲覧され、面白い記述を見付けられた。

「八龍山(通称稲荷山)の麓をくねくね曲がると、いよいよ山手に入り、坂道も多くなります。洞田を横切り岩肌のあらわれた急な短い坂を登りきると、道端に有名な首切り地蔵がありました。近くには大きな鳥居が建っていますが、これは高社神社の遥拝所で(中略)この土地を鳥居が根といいます。」

《結論》

上記により、「鳥居が根のとうげ」の鳥居は稲荷山の水野稲荷神社の鳥居ではなく、高社神社の遥拝所の鳥居だとなる。よって上記2018/03/15の記載は間違いとなり、昔話「首切り地蔵」の舞台は現在の多治見市勤労者センターの駐車所を抜ける山道の峠だった。

『翁のたわごと』:著作者・出版者、伊藤喜作。1990年発行。多治見市図書館開架。


《後記》

「水弘法」のお話は時代設定がデタラメ。弘法様は8世紀の方で、普賢寺は17世紀の建立。位置関係もおかしい。普賢寺境内を通ると吉坂を通らない。まして、江戸時代普賢寺は今の場所になかったと聞いた。まあ、昔話なので堅いことことは言うまい。

『たじみの昔話』には大原のお話として「大杉の観音さま」があるが「しばり観音」とも言われる。
同書の中には、大原の住人が主人公の「牛岩」のお話があるが、これは明治時代と思われる。また「六部塚」のお話は、この本には書かれていないが大正時代のお話で2話とも意外と新しい。

『たじみの昔話』30話の内3話が大原が舞台なので、近所の住人としては何となくうれしい。

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