久々利街道

久々利街道 内津妙見神社から大原の犬山街道分岐までを歩く 2019年9月8日(日)


《時間》


池原神社
 06:20
  ↓
四等三角点北山
 07:30
  ↓
内津妙見神社
 08:05
  ↓
奥之院
 08:20
   〜
 08:50
  ↓
国界の峠
 09:10
  ↓
池原神社
 10:00

《久々利街道起点》

久々利街道の起点は下街道の内津妙見神社になる。今回はこの起点から大原の犬山街道(大原から根本手前まではほぼ旧農免農道と一致)の分岐までを歩く。

内津妙見神社横の道は国道19号のバイパスが出来るまではダンプ道で平日は絶対に通りたくなかった。現在もバイパス以北は以前と同じ状態。と云う訳で日曜日にしたが酷暑日の予報なので早朝から出掛けた。


《池原神社から四等三角点北山》


四等三角点北山までは自宅から何度も歩いて行っているが、今日は左ヒザに配慮して池原神社までは車で行った。池原神社から才竹林道に入り、滝ヶ洞林道。そこから廃林道を通って東海自然歩道に出合う。

朝日を受ける池原神社 廃林道の入口

北山橋の手前で左足の踏ん張りが効かず、思いっきり尻もちをつき、手首から出血。山道に入ったら軍手をするという鉄則を軽んじたと反省。

北山橋には豚コレラ対策のゲートがあり、橋の前後は結構急傾斜だった。普段なら気にもしない程度なのに。ドコモ中継所横の階段は木々がはみ出し、これが東海自然歩道かという感じ。かなり以前、東海自然歩道を踏破した方が「一番整備されたない県は愛知県だ」とニュースになったのを思い出した。

北山橋 中継所横の階段

《内津妙見神社へ下る》

北山の標石をチラ見して、何も見えない展望台裏から下る。傾斜があり、しかも長い。ようやく本殿の横に出た。拝殿でご挨拶して、隣の内津妙見寺にもお参りして下街道の分岐から久々利街道に入った。

内津妙見寺 久々利街道起点の分岐

《旧妙見宮奥之院》

鉄の階段があるらしく、とても登る自信がないので通過するつもりだったがやっぱり立ち寄った。霊神の石碑があり、内津の展望台に戻る遊歩道の分岐を過ぎると急な階段になり鉄に階段の下に出た。

霊神碑 鉄製の階段

階段を登り巖屋神社にご挨拶をして、周りの岩を見ると茶色い岩の横には緑の岩、チャートだろうか。

巖屋神社 茶色ぽい岩(チャートか?)

緑の岩と茶色の岩 巖屋の上部

階段の下の道を直進すると祠があり、そこから踏み跡をたどると尾根に乗り、左へ行くと巖屋の上の辺りに出る。ここでおにぎり休憩をするつもりだったが、足場が悪く諦めた。尾根から左山で下り「展望台へ」の分岐に出た。

妙法・四生六道法界萬霊 名古屋の遠景
これほど崖っぷちの展望の良い場所で供養されたら解脱できるかもしれない。


《久々利街道を進む》

中央自動車道の下をくぐり、役目を終えた産廃処分場の間を通って国界の峠に着いた。産廃場や採石場ができる以前の峠は木々に囲まれて風情があったのだろうが、今ではダンプがヘアピンカーブを曲がれるようにだだっ広い峠になっている。

中央自動車の下 国界の峠(左:入鹿 右:大原)

新しい県道の分岐を過ぎると「窯場の馬頭観音」があるが採石場のゲートの中。更に下ると「大杉の観音様」がある。

窯場の馬頭観音(2018/4)
享和元酉十二月とある
大杉の観音様
宝暦十三未十一月とある

ダンプ道から分岐を左に入るのが旧道。そして犬山街道の分岐の北50mの藤波組の敷地内に馬頭観音が居られ、「左ねもと 右たじみくくりみち」となっている。ここから池原神社に戻った。

左から氏神、佐倉宗五郎神社、馬頭観音 馬頭観音


《後記》

犬山街道は大正元年発行の5万図に載っていないので、それ以降に出来たと思っていたが藤波組にある馬頭観音の元号は「安政六未年」と読める。と云う事は少なくとも根本までの道は江戸末期にはあったことになる。

元気な時、自宅から北山まで65分で行っている。今回は池原神社から70分。自宅から池原神社まで徒歩で15分を足すと85分となり、1.3倍かかっている。
また今回のコースの所要時間は2時間半と計算していた。奥之院の30分を足すと3時間。実際は3時間40分なのでやはり2〜3割増し。平坦地を歩いてこの程度では高社山散歩道はまだまだ歩けない。


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