今渡街道

今渡街道2(全2回)  牧峠から大松の茶店まで  2019年10月6日(日)

今渡街道1へ(多治見駅付近〜大松の茶店)

《道筋の確認》

古い地形図と地理院地図とを切り取り、各々の稲荷山と根本の辻(『翁のたわごと』記載の名称)に印を付け、それぞれの地点が一致するように調整した。しかし、縦横の比率を保持して調整しても一致せず、縦横別々に調整した。
そして、古い地形図の道筋をプロットして、地理院地図に落とし道筋を確認した。
下記の地形図を参考にしている為、道筋は明治時代後期のものとなる。

〈参考資料〉
  • 5万分の1地形図「太田」 明治44年測量 大正元年発行
  • 地理院地図
  • 『翁のたわごと』(著者は明治35年生まれ、多治見市小泉町の方、平成2年発行)
鳥居が根の峠道(首切り地蔵の舞台)は、馬の背に荷物を載せて運ぶ時代から、物流量が増え荷車が主になると麓に二間道が整備され自然消滅したようだ。麓の道跡は現在の市道の西側に残っている(通行不能)。
根本の辻北200mで根本川を渡ると今渡街道と久々利街道が分岐し道標(左 姫治広見、右 久々利御嵩)があったが今渡街道がバローの駐車町になった為、根本公民館に移された。
牧峠の根本側500m地点で太多線の為に一部消滅している。

今渡街道の地図
《時間》

根本駅 08:05
  ↓
牧峠 08:35
  ↓
根本駅 08:55
  ↓
大松の茶店 09:50

《牧峠へ》

小泉駅7時48分発の電車で根本に行き、バロー根本店の駐車場を背にして街道筋を歩き始めた。根本公民館で道標を見て、北丘林道(今渡街道)に入る。

バロー根本店を背にしてスタート 馬頭観音と道標
バロー根本店を背にしてスタート 馬頭観音と道標

北丘林道入口 北丘林道
北丘林道入口 北丘林道


林を抜けると北丘川沿いの道になり、橋を渡ると街道筋は太多線で切られている。

北丘川に沿った今渡街道筋 線路で終わる
北丘川に沿った今渡街道筋 線路で終わる、線路の向こうは「ひかり」


太多線で切られた向こう側を見るためになるべく線路の近くを歩き、牧峠踏切を渡り県道(今渡街道)に出合った。
地形図を見てもよく分からない牧峠の位置を現地でようやく確認した。但し、県道の峠と今渡街道の峠とは位置が違うかもしれない。

牧峠踏切 根本側から見る牧峠
牧峠踏切 根本側から見る牧峠(左は踏切に下る)


《牧峠〜大松の茶店》

県道を歩き、太多線で切られた先の合流点を推測すると「和食処ひかり」の正面の辺りになる。松坂町1の信号で右折して、根本の踏切を渡るがこの道が久々利街道だ。
根本川に掛かる橋から石造物群のある根本の辻までは今渡街道と久々利街道の重複区間。

根本川の橋 2街道の重複区間
根本川の橋(橋名は不詳) 二街道の重複区間

根本の辻の石造物 根本の辻
根本の辻の石造物 根本の辻
左が今渡街道、右が久々利街道
ともに下街道に合流する。


根本の辻を左折してすぐに新道と分岐する街道筋がある。北側は古い住人の住まいだが、南側は新しい住宅地で、かなりの傾斜地に造成されている。その山の中程を巻くように街道は続いている。

街道跡 住宅地の中の街道筋
側溝から右4mくらいが街道跡 住宅地の中の街道筋

山際の道 高根山
山際の街道筋 左の画像の位置から見る高根山


だんだんと下って行くと国道248号の高架の下で新道に合流する。この先の新道は大原川の流れを変えて造られているが、街道の跡は新道の西の山すそ(鳥居が根の峠の山すそ)に残っている。

今渡街道の跡 新道から見る街道跡
今渡街道の跡 新道から見る街道跡(2018/3)


この先の幸町1の交差点付近は大正元年の5万図でははっきりしない。「新道は直進しているが昔の街道は稲荷山の麓を回り込んでいた。」と地元のじっさまに聞いたことがあるので、上記の地図はその話を元にした。

幸町1の交差点 幸町1の交差点
幸町1の交差点を東へ直進 交差点から東へ(2019/10/7)


六部様にご挨拶して、大沢川を渡り、川沿いの道を行く。この川の対岸が稲荷山の山すそだったと思うが、今は削平されている。
(この付近は新道から直進してしまい、次の日、買い物のついでに撮影した。)

六部様 大沢川に沿った道
六部様(2019/10/7) 大沢川に沿った道(2019/10/7)


山すそを迂回して、小泉町内の街道筋を歩く。すぐに石仏群があり、直角に曲がると弘法堂、そして「大松の茶店」で休息となる。

石仏群 直角の曲がり角
石仏群 直角の曲がり角

弘法堂 街道筋
弘法堂 街道筋(奥に火の見櫓が見える)


《牧峠以北の今渡街道》

牧峠以北は田白・沢渡・徳野・今渡と道路の拡幅、高低差の解消等のみで道筋に大きな変化はない。

今回、多治見市本町から牧峠まで2時間25分掛かっている。多治見旧市役所付近から荷車を引いて懲役茶屋までを往復すれば丸1日仕事だっただろう。囚人も大変だ。

(懲役茶屋跡:牧峠北1kmにある。多治見と今渡からそれぞれ2名の懲役囚が監視に引率され、鎖に縛られ、荷車を引かされて懲役茶屋で荷車を交換して引き返したという。)


《武者修行の侍》

首切り地蔵のお話しの武者修行の侍は何所から来たか。
まず、尾張の内津からではないことだけは間違いない。内津から根本に向かうなら久々利街道を通るはず。
また、人と変化(へんげ)の区別も出来ない未熟者なので三河の山を越えて来たとも思えない。
とすれば土岐川沿いを下って来たか、逆に土岐川沿いを上って来たか、あるいは瀬戸から山越えか。さて・・・・・

何れにしても、すべてはファンタジー。

今渡街道1へ(多治見駅付近〜大松の茶店)


美濃一人多治見市内散歩>今渡街道2