今渡街道

今渡街道1(全2回) 下街道(ながせ通り)分岐から大松の茶店(小泉駅付近)まで

2019年10月5日(土)

今渡街道2へ(牧峠〜大松の茶店)

《道筋の確認》

古い地形図と地理院地図とを切り取り、各々の多治見橋・団子橋・稲荷山(三等三角点大原)に印を付け、それぞれの地点が一致するように調整した。しかし、縦横の比率を保持して調整しても一致せず、また縦横別々に調整しても一致しない。
仕方なく最大公約数的に調整し、古い地形図の道筋をプロットして、地理院地図に落とし道筋を確認した。
下記の地形図を参考にしている為、道筋は明治時代後期のものとなる。

〈参考資料〉
  • 5万分の1地形図「太田」 明治44年測量 大正元年発行
  • 5万分の1地形図「瀬戸村」 明治24年測量 明治32年発行
  • 地理院地図
  • 『翁のたわごと』(著者は明治35年生まれ、多治見市小泉町の方、平成2年発行)
多治見駅北は再開発の為、大原川の団子橋から野中の弘法堂の間、酒井田川にかかる奥助橋から池田の辻の間は耕地整理の為に道は消滅した。国道19号線、太多線の交点は当然消滅。 

今渡街道の地図


《多治見駅まで》

太多線小泉駅まで自転車で行く。(平日は駐輪場が一杯なのでに土曜日にした。)
8時7分に乗るつもりだったのに7時47分に間に合った。跨線橋をゆっくり下りると電車が入って来た。

多治見駅はエスカレーターとエレベーターで楽ちん。ながせ通りに向かうとビックリ。スクランブル交差点だ。めったに来ない駅前、まさか多治見にスクランブル交差点!!!!!
そう言えば、かなり以前からこんな感じ。車で通り過ぎるだけなので気が付かなかったんだ。


《今渡街道》   起点08:20〜大松の茶店09:30

開店前のながせ商店街を歩き、今渡街道の起点に到着。ここは「虎渓道」の起点でもある。

駅前スクランブル交差点 ながせ商店街
駅前スクランブル交差点 ながせ商店街

左:下街道 右:今渡街道 虎渓道
左:下街道 右:今渡街道 虎渓道


分岐からすぐに「大日如来の社叢」があり、線路が見えると中央線開業当時と同じ位置に踏切がある。

左が大日如来の社叢 多治見駅東の踏切
左が大日如来の社叢 多治見駅東の踏切


踏切から北(駅北)は再開発で道跡はなくなる。

安養寺 弁天池
安養寺 弁天池(水はないし、草ボウボウ)


大通りを横切ると街道の道筋が残っているが道幅は広い。左角に御岳神社、その先が白山神社となる。

左に御岳神社、奥に白山神社 白山神社
左に御岳神社、奥に白山神社 白山神社


街道跡はZENTの裏で国道19号に消されてしまう。陸橋を登り、地下通路を通って19号線を越えたが、少々ヒザに来た。

R19で行き止まり R19の向こう側
R19で行き止まり R19の向こう側


団子橋の手前に祠があり、この辺りに団子を売る茶店があったのか。江戸時代の今渡街道は大原川の左岸にあったらしい。団子橋を渡ると道跡は消滅する。

団子橋 この正面が街道筋
団子橋 この正面が街道筋


真っすぐな道を直角に曲がり、野中の弘法堂に着く。ここからは古い街道が残っていて微妙なカーブとクランクが楽しめる。
この付近に「たじみあられ」があるとは知っていたが、このクランクの入口付近にあった。なぜこんな裏道にと思ったが、とんでもない、ここが街道で表通りだった。

野中の弘法堂 微妙なカーブ
野中の弘法堂(現老人憩いの家) 微妙なカーブ

クランクの入口 クランク
クランクの入口(正面がたじみあられ) クランク


クランクを抜けると祠があり、奥助橋を渡ると道跡はなくなる。

祠 奥助橋
奥助橋


けやき通りを横切り、耕地整理された道を行くが今では住宅街。そして、太多線の線路に沿って北へ進むと池田町屋に向かう今渡街道の枝道を太多線が横切っている。

畑道跡の遊歩道 今渡街道の枝道
畑道跡の遊歩道 今渡街道の枝道


ようやく「池田の辻」に着いた。ここは豊岡村(多治見市本町)と池田町屋に向かう街道の分岐。本道は消滅しているので、この道標付近の景色は、明治後期とは全く違っているはず。

池田の辻の道標と馬頭観音 道標
池田の辻の道標と馬頭観音 道標


気付かない内に大波佐川を渡り、踏切を渡ると、改修を重ねても微妙なカーブが残っている車道。見とれてしまう。

踏切 微妙なカーブ
踏切 微妙なカーブ


小泉町8の信号を渡るとガードパイプの内側にある謎の空間。これがまさしく今渡街道の跡。そして、この付近に「首切り地蔵」のお話しに出てくる「大松の茶店」があったという。

火の見櫓の後には題目碑があり、馬頭観音の台座には「右太田道」とある。

ブロック塀の外が街道跡 左画像の続きの街道筋
ブロック塀の外が街道跡 左画像の続きの街道筋

題目碑 馬頭観音
題目碑(中央) 馬頭観音(文政三辰年)


今日はここまでにして小泉駅に戻った。


《大松はどこに》

右の航空写真は昭和22年のもの。
題目碑の北と西に木の影が見えるが、東の畑道の両側、及び南側には木が見えない。

昭和19年の「可児郡小泉村総図」には題目碑の位置に大松と津島神社の絵記号が描かれている。
ならば、ここに「大松の茶店」があったことになる。

とは言え、すべてはファンタジー。


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