四等三角点北浦山

丸山ダムと北浦山
丸山ダムと北浦山(点名)

四等三角点北浦山 378.4m 御嵩町 2025年11月29日(土) 五万図「美濃加茂

5月の中頃、面白い三角点はないかと探していると丸山ダムの近くに四等三角点北浦山を見つけた。点の記を開いてみると所有者は寿和工業になっている。
もしやと調べると、この三角点の麓の小和沢集落(かなり以前に廃村)こそが産廃に埋まる運命を回避した村だった。
事件の詳細は「YAHOO!ニュース」( https://news.yahoo.co.jp/feature/1409/ )に

点の記には三角点の東80mに南宮神社があり、地理院地図にある集落の鳥居マークの奥の院と思われる。三角点へは南西尾根あたりがいい感じ。

地理院地図で三角点の東160mにある電波塔は、Googleの航空写真では林道終点の南宮神社の北側に隣接している。また集落南の標高点208m以南の県道約200m分のルートが修正されていない。ここは国土地理院にも見放された土地のようだ。

コース地図《時間》
P 09:30
  ↓
神社跡 09:45
  ↓
南宮神社 10:20
  ↓
(南宮神社・電波塔周辺で
 三角点を探す)
  ↓
三角点北浦山 10:40
  ↓
南宮神社 10:45
  ↓
P 11:20

《小和沢集落へ》
小和沢橋付近に車を置き小和沢橋を見て、集落までゆっくり歩くつもりだったがダム工事で通行止めになっていて橋まで行けない。仕方なく集落まで車を乗り入れた。
通行止め
通行止め
《駐車場所》
お寺マークの下に車を置いた。ここにはバス停、その他(下写真)があった。
バス停
バス停
お堂
お堂?
小和沢公民館
小和沢公民館
何かの石碑
何かの石碑(太陽に照らされ読めなかった)
《お寺マークと神社マーク》
お寺に登る道はササの密生で通行不可。ならばと直接斜面を登りカーブの先の道に上がることにした。そこから先もササヤブならば諦めようと。
お寺に登る道跡 駐車場所周辺地図
お寺に登る道跡 駐車場所周辺地図
ヤブの急斜面を登り、ササを分けて道に出ると幸いに道跡は明確に残っていた。
気持ちの悪い廃屋の中を通り神社に続く道を捉えた。
小屋
小屋、この中を通過
母屋
母屋
このお寺跡の廃屋は母屋の他に小屋が5.6軒あるが、最も恐れた墓地はなく神社跡に向かった。参道は灌木で埋まり段差を直登するが左腿に痛み、枯木で引っ掻いたようだ。
鳥居の笠石は半分崩れ、拝殿は床が抜け、本殿は当然空っぽながら末社の祠もあった。
崩れた鳥居
崩れた鳥居
拝殿内部
拝殿内部
本殿
本殿
本殿内部
本殿内部
《登り直登》
本殿の両側に道跡を探すが痕跡すらなく、仕方ないので本殿裏から直登するが、廃屋周辺より遥かに歩きやすい。
枝を折る。それだけでは不安で紙テープを付けた。南西尾根との合流点は特に慎重にと思ったら共聴アンテナの残骸があり、良い目印になる。
こんな感じの斜面
こんな感じの斜面
共聴アンテナの残骸
共聴アンテナの残骸
岩場を越えると尾根にT字型に出合い、ここに止め木をして復路で行き過ぎないようにした。ここで右折して進むと「建設省・電力ケーブル」の標柱が2本と何かの標柱も。そして、林道終点に出合い、電波塔と南宮神社があった。
電力ケーブルの標柱
電力ケーブルの標柱
”3”の標柱
”3”の標柱
《三角点探し》
さて三角点はと辺りを探し電波塔と南宮神社、その下方まで探し2周。何処にあるんだ。
鳥居の前で地形図を見ると標高の数字が邪魔をするが林道終点の西側。
「登って来た方向じゃん」
今来た尾根を戻ると止め木をした50cm北に四等北浦山があった。化かされた気分。
南宮神社に戻って休憩にした。
山頂風景
山頂風景
四等三角点北浦山
四等三角点北浦山
《下山》
往路を下るが枝の目印は老眼の為半分くらいしか確認できない。最後のヤブを力技で通り抜け車に戻れた。
石碑はとみると、正面は道路の反対側で陸軍伍長日比野何某のお墓だった。明治39年とあるから日露戦争で戦死された方のようだ。
崩れた鳥居
崩れた鳥居(恐る恐る通過した)
お墓
お墓
《小和沢村》
『濃州徇行記』には20戸90人とあるそうだが「GISぎふ」や「Googleマップ」の航空写真では10戸くらいしか確認できない。
10戸くらいであのお宮さまのお世話をするのは大変だっただろう。


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