米田白山 美濃加茂市下米田 2022年10月11日(火) 地形図「美濃加茂」 この時期、里山に入るには苔山で厳しく、ココにした。 白山神社駐車場から新道を登り、馬串山方向へ下り、箱岩登り口で1時間50分以内であれば登り返し、白山神社へ下山しようと思っていた。所が思わぬ出会いがあり、予定を変更した。 |
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《時間》 P 09:10 → 山頂 09:40 → 東屋 09:45〜11:10 → (休憩10分) → 馬串山山麓石仏群 11:50 → P 12:30 《登り》 白山神社の駐車場に車を置き、参道を登って行く。角々に灯篭が建ち、格式の高さを感じる。擬木の階段の上に根っ子が這っているところを見るとかなりの年代物だ。 |
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参道と灯篭 | 擬木の上の根っ子 |
社殿から上は木の階段になり、ここからが整備されたのだろう。左手の小さな沢にはかなり古い石積みのえん堤があった。しばらくすると左手にトラバース道があり、これは杣道ではなさそう。急斜面に付けられた木の階段を登ると尾根に乗った。 |
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石積みのえん堤 | 尾根下から見えた高社山 |
尾根道を行くと反射板のある山頂に着いた。2002年、2012年、そして2022年、10年ごと三度目の三角点にご挨拶。 《東屋にて》 三角点のすぐ先には南側に道があり、きっと白山神社上部で分岐した道と繋がっていると予想した。東屋には三角点で追い越された方が居られた。 軽装なので「ご近所ですか?」と聞くとそうだとの返事。あなたはと聞かれ「多治見からです」と答えると、「高社山には主みたいな人がいますね」と。あれ僕のこと!!! ハンドルネームを答えるとご存じだった。その方はYAMAP「ゆっくり登山」さんとのこと。 いろいろと面白いお話しを聞き、またコミュニティーが広いようで知り合いの方が1人1人と登って来られ、1時間20分も東屋に滞在した。 《下山》 お別れして、まず教えて頂いた東屋すぐ南の古墳を見に行く。すごい!!! チャンと石室の形をしている。そして下り右折して左折すると、こちらは更にすごい。石舞台の小さいバージョン。今日はこれを見られただけで大満足。 |
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古墳A | 古墳B |
少し下った所にベンチがあり、高社山を正面に見てお昼にした。 |
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そして80番鉄塔に着いた。ここはトラロープで囲われていて立入禁止。作業者がみえたので下の道まで行きたいと説明して通してもらった。 所が道の続きがない。標示板の81番の方向に行く。ヤブになり住宅裏の擁壁の上。迂回すれば下りられそうだが民家の庭に下りることになり引き返した。送電線の向きを確認したいがない。79・80の直線を想定し、モノレールの終点を迂回して灌木のヤブに入り、やっと道に出合えて一安心。 引き返して道間違いの箇所を確認しようとしたがモノレールの所で立入禁止、あきらめた。作業内容によっては絶対に通してもらえないだろう。作業は来年3月までだという。 |
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工事中の79番鉄塔 | モノレール |
《馬串山周辺》 舗装道路に出て馬串山に向かった。旧道の峠の石碑群の左手から山道を登ると石仏が。観音像なのか、27体確認でき供養碑のような物があったが読めない。西国三十三観音かも。 馬串山山頂へガケを登れる個所があるがパス。一度いっているし、小山砦跡の遺構を見るなら北側から回り込んだ方が良いが、どうせヤブだろう。(もしかしたら整備されているかも?) ここの立ち木に地図がはってあり、白山神社の上の道と米田白山山頂西の道とはつながっていると分かった。このバリルートも「ゆっくり登山」さんが切り開いたと言われた。 |
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馬串山 | 米田白山のルート地図 |
戻って峠の石碑群を見に行く。ここの一番大きな石碑が播隆上人の名号碑だと「ゆっくり登山」さんに教えてもらった。六文字は風化して読めないが左下の文字は播隆と読めた。下画像の三文字目は梵字だろうか。 |
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播隆上人の名号碑 | 天保五と読める |
《車道歩き》 流石に箱岩登り口から登り返す気にはならず、麓の道を歩き車に戻った。 |
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人口の1割が外国人の町ならでは | 県道から見る岩山 |
《旧参道》 s-ngmさんも気にしていた参道の問題。 |
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一の鳥居と二の鳥居 | 大正元年発行の5万図「太田」 |
上の画像で、各鳥居の向きを見てもなかなか参道の道筋が想像できない。 また、古い地形図を見ても少し向きが合わないような気がする。 《後記》 半年ぶりに新しいファイルを作ろうとしたが作り方を忘れてた。その上にHPBがこわれた。 |
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美濃一人>山名録2022>米田白山 |