四等三角点栃木ケ洞 七宗町神淵 2022年4月9日(土) 五万図「金山」 |
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右図の峠三ヶ所と四等三角点栃木ケ洞を見ようと予定した。 概要は八日市の峠手前の林道入口の広場に車を置き、林道の終点から沢を登り尾根に出合い、左折して三角点栃木ケ洞。少し戻って杉洞/八日市の峠を過ぎて境界尾根を下り、林道に出合って、杉洞/川合の峠から下り林道に出合い、市道で戻どる。 注1:杉洞/八日市の峠は古い地形図に小径が描かれている。 注2:点名の栃木ケ洞の「ケ」は基準点検索では小文字ではなく大文字だった。 |
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《入山場所を探して》 上八日市(峯高)の集落を抜けて林道の入口まで来た。林道を覗くと50m程奥に軽トラが道を塞いで止まっている。これは入りづらい。峠越えをして川合側の林道を見に行くと炭焼き釜の所に軽トラが2台とまっていて人もいる。これも無理。 八日市に戻り、林道入口の斜面を登ろうと思ったが、これも無理。仕方ない、軽トラのおじさんに挨拶をすることにして、峠の路肩で準備をしていると軽トラが下って行くのが見えた。 ラッキー!! |
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村道改良記念碑 | 八日市/川合の峠の石仏 (左:明和七年、右:明和九辰) |
《時間》 P 09:50 ↓ 四等三角点栃木ケ洞 10:30 ↓ 石仏(八日市/杉洞の峠) 10:50 ↓ 廃林道の終点 11:30〜11:40 ↓ 石仏と石碑(杉洞/川合の峠) 11:55 ↓ P 12:40 |
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《三角点栃木ケ洞》 林道は整備されている。峠道の入口は沢の右岸にあったが、これを見送り林道終点。その先は当然倒木で右往左往。どうにか源頭部の急斜面を登り支尾根に乗り左折。主尾根に出合右折。岩があったが乗り越えて三角点栃木ケ洞に対面した。 |
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イノシシ君のお陰で巻けた | 三角点栃木ケ洞 |
《八日市/杉洞の峠》 |
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尾根を引き返し、岩は巻いた。鞍部を過ぎると予想外のカーブがあり方位を確認。 順調に下って峠になった。全く期待していなかったがお地蔵さまが迎えて下さった。 銘は「明治〇申八月廿四日・八日市村」で、台座には「村中安全」とある。 杉洞側の道跡はヤブ、八日市側はわりといい。 |
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八日市/杉洞の峠の石仏 | |
《林道の終点まで》 峠を後にし、上図A地点の尾根の分岐は見事にクリア。「GISぎふ」を見て林道の位置を書き込んだ地図ではB地点辺りで林道が尾根を横切っていると見えた。所がかなり下っても林道が出てこない。 両側の谷には林道が見え、そして谷の分岐まで下った。林道の先を見ると民家が見える。杉洞まで下ってしまった。と言う事は林道のルートを間違って書き込んだことになる。仕方ないので林道を西進し、右に曲がる林道を見送り、踏み跡を直進して鞍部に出ると林道の終点があった。 |
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杉洞最奥の民家が見える | 林道終点 |
《杉洞/川合の峠》 林道は松と杉の幼木で埋まり、廃道になってから久しいようだ。廃林道の西側の尾根を行く、それも終わり廃林道に下りたが轍の部分には隙間があり幼木を避けて歩くことができた。里から登って来た林道に出合うとすぐに峠の広場に出た。 広場の正面には石碑が二基あり、お墓かと思ったが、右が「富士浅間大菩薩/白山大権現/立山大権現」とあり、左は釈迦三尊のようだ。 峠の頂上には石仏が二体あり、左の新しい方には宝永七年(1710年)とあり、古い方の年号は読めないが1600年代かもしれない。 杉洞側の道は綺麗に刈り込まれていた。川合側はヤブを抜けると道跡が続いていた。 |
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大菩薩の石碑(左) | 峠のお地蔵さま |
右は杉洞への峠道、左は林道で草ボウボウ | 川合側の峠道 |
《戻り道》 この峠まで2時間、川合側に下って林道から市道を歩いても40分くらいで戻れそうそうだが運動量が限界を越えてしまう。山中を戻ることにした。 廃林道は迂回せず直進した。八日市/杉洞の峠から下ると沢の左岸から林道に出合った。もし登りで右岸に入っていたら行き止まりになり困惑しただろう。 おじさんが居たら峠の名前を聞こうと思っていたが、誰に会うこともなく車に戻った。 |
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廃林道 轍に隙間があるが最後は密生していた |
八日市に下る峠道 |
美濃一人>山名録2022>四等三角点栃木ケ洞 |