四等三角点笹畑

四等三角点笹畑 恵那市笠置町河合下河合〜恵那市飯地町の里道河合道(河合坂)を通って
2021年1月6日(水) 地形図「恵那」

河合坂の地図
(河合道の位置は下案内板の道筋を写しとりました)

下河合の河合道入口にある案内板の画像河合坂の案内板

古い地形図で旧道を探していると下河合から飯地の山の中に里道(聯路)があった。地理院地図を見ると途中まで破線が描かれている。
ストリートビューで見ると飯地側には「古道河合坂」の案内板が、三角点笹畑のすぐ横に立っている。もしかすると整備されたいるかもしれない。ヨッシ見に行こう。

《時間》

P 09:35
  ↓
四等三角点笹畑 11:20
  ↓
中電標示板「85へ」 11:35
  ↓
河合道出合 12:15
  ↓
Pを通過して水曾街道出合 13:05
  ↓
P 13:10
水曾街道の表記
5万図「岩村」(大正元年発行)の部分

《水曾街道》

大正元年発行の5万図には木曽川右岸の道を、中野方川合流点付近(上画像)と旅足川合流点付近に「水曾街道」と記載されている。ググっても何もヒットしないが大日本帝国陸地測量部の権威を尊重して使用することにした。

《駐車場所まで》

武並橋を渡って右折。県道沿いの「龍現禅寺跡」の解説板を見て、集落内に入り、指示板に従って舗装道路から河合道の入口に着いた。
河合道案内板の対面の空き地は私有地に見えるが、駐車場にも見える。構わずに車を置いた。

龍現禅寺跡の解説板 河合道入口
龍現禅寺跡の解説板 河合道入口(右)

《河合道(河合坂)》

龍現禅寺跡 武並橋と愛岐幹線86番鉄塔
1番:龍現禅寺跡
(以下、番号は案内板の番号)
武並橋と愛岐幹線86番鉄塔

神明神社 石積み
2番3番:神明神社と妙見様
水源はなく、石積みの上端が水平でない所もあるので畑地の後だろうか

シシ垣 地蔵様
道の下側にはシシ垣が良好に残っている 8番:地蔵様
左側面に「河合村施主山本勘七〇」と読めた

金毘羅様と秋葉様 石仏
9番10番:金毘羅様と秋葉様
道から3・4分登った所にある
13番:籠立てにある石仏

馬頭観音 標示板
22番:馬頭観音 左の位置付近に中電の標示板

十二折れつづら道 巡視路
23番:十二折れつづら道 左の位置付近の85番への巡視路

馬頭観音 一本松
25番:馬頭観音
こちらは飯地村の人が立てたようだ
26番:一本松跡

道が平坦になると栃窪道の分岐が有るはずだが雪で確認できない。また河合道も外してしまった。ストリートビューで見たように、畑の左側を歩き、舗装道路に出合った。

舗装道路出合手前 古道河合坂の案内板
舗装道路出合手前 古道河合坂の案内板

四等三角点笹畑 三角点を見て考えた。既に2時間弱、秋葉山は無理。でも、すぐそこに鉄塔が見える。ならば巡視路で下ろう。
四等三角点笹畑

《下河合へ》

ショートカットして広いオートキャンプ場の中を横切ると、対角線上の両角にソロキャンパーが2人。何が楽しいのだろうと思ったが、人の趣味をとやかく言えない。1人で名前のない山の中を歩いている奴もいる。

秋葉山の方へ進むと枝道があり、その分岐に「85⇒」の標示板。チェーンを跨いで進んだ。

オートキャンプ場 標示板
オートキャンプ場 愛岐幹線NO.85の標示板

すぐに広場になり行き止まり。広場の奥に鉄塔が見え、これを85と認識した。標示板はないが萱の中の踏み跡を行くといい具合に道があった。所が200mも行くと沢で行き止まり。ここで判断を間違った。

広場 杣道
85番と思った 巡視路と思った

ここから下ればすぐに河合道に出合うだろうと急な斜面を下った。岩ゴロの沢を横切るが、雪で隠れたくぼみに足がはまらない様にストックで確かめる。そして、尾根を下るがすぐに終わり、又岩ゴロの沢を横切り尾根に乗る。

これを幾度繰り返しても道に出合わない。本当に南へ下っているのかコンパスを見ると南東に下っている。かなり大きい尾根の側面を右山で進むとようやく道に出合った。これで一安心とおにぎりタイム。靴・手袋・ズボンはドロドロ、使用2回目のリックにも苔がこびり付いている。

つりそうな足をかばいながら車を通り過ぎ、水曾街道の分岐を確認して車に戻った。

燈籠 お題目碑と妙見大菩薩の碑
15番:燈籠 14番:お題目碑と妙見大菩薩の碑

《帰宅後の検証》

枝道の奥の広場から見えた鉄塔は84番だった。
それを85番と勘違いして道を進んでしまった。
84番への巡視路はきっと秋葉山登山道から分岐しているのだろう。
85番への巡視路は枝道を真っすぐに萱の中を進むとあったと思うが雪で見えなかった。

ここまで書き進めて、もしやと思い「河合坂」で検索すると出てきた。「水曾街道」は引っ掛からないのに大したもんだ。


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