堂塚山 885.3m 黒落 732.2m 郡上市和良町 2017年12月3日(日) 地形図「下呂」 |
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和良町方須から望む堂塚山 | 和良町安郷野から望む黒落(左の峰) |
《堂塚山について》 『飛騨の山山・ヤブ山編」(酒井昭市著1989年)と『続・きぶ百山』(岐阜新聞社1993年)と『美濃の山・第3巻』(大垣山岳協会1998年)に記載がある。『続・きぶ百山』の文章も酒井氏のものだろう。氏の調査に里山に対する愛情を感じる。 ただ残念ながら、地元では堂塚山とは呼ばれていないようだ。後出のおじさん達も堂塚・黒落と呼んでいた。 2002年7月31日に登っているが、この年の雪害で林道は倒木でふさがっていた。 《黒落について》 黒落林道を700mほど入った所に、以前はなかった地元のおじさんたちの秘密基地がある。ピンクのベストを着ている人もいるし、軽トラが8台止まっていて荷台には犬が乗っている。 恐る恐る「今日堂塚に入られますか。」と聞いてみると「行かんと思うよ。」とのこと。 「この辺りは黒落ですけど、山頂を黒落山と言いますか。」と聞いてみると、「黒落に山頂なんかあったか」と周りに聞いてくれたが、全員「NO」。その理由は後で分かった。 |
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【登り】 下土京公民館08:55→林道分岐09:25→林道終点10:00→山頂10:35 【下り】 山頂10:50→黒落山頂(三角点を探して)12:10〜12:20→下土京公民館13:10 《黒落林道》 今日は下土京公民館でジッチャン・バッチャンのお茶会があるようで車を置きずらい。玄関を開けて駐車の許しを請うた。林道に入るとすぐに前出の小屋がある。簡易水道の施設(前回はここに駐車)を過ぎると舗装がなくなり、坂口のお地蔵様には立派な屋根が作ってある。 すぐに、平四郎峠への道を分ける。前回はこの辺りから倒木が始まった。すぐにまた林道の分岐。この辺りも50cmくらいの大木が折り重なっていた。今、斜面の植林はまだ若い。 |
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坂口の地蔵様 | 幹はヒョロヒョロ、根回りは小さい |
分岐から先は更に路面は悪くなり、歩きずらい。しかも草がボウボウ。ようやく林道の終点に着いたが、踏み跡は全くない。さてどちらの谷に入るか。左は尾根に近いが間伐木で埋まっている。前回は右俣を行ったし、まだ多少良さそうに見えるので右に入った。 |
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《山頂へ》 谷から見上げる尾根は遥かに高く、傾斜はきつそう。直進をあきらめて右手の沢に入ったがこれもきつい。 左の尾根に逃げ、左へ左へ、結局本谷の源頭部に戻っていた。急斜面には灌木はなく、間伐木に足を掛けてようやく山頂に着いた。 |
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《堂塚山山頂》 2等三角点の標石はピカピカ。市境の南北尾根には立派な切り開きがある。これなら平四郎峠から南下した方が楽かもしれない。そして「教塚」と言われる石柱。和良は天台・真言の勢力下にあったが、後に門徒になり、浄土三部経以外の経典を埋めたと伝わる。 |
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二等三角点乙原 | 石柱 |
《下山》 今日、地図は5000分の1で印刷し、予定の尾根に1cm間隔に印をつけ、特徴のある場所で時間を書き入れることにした。(5分でマーク2〜3個分) 山頂から西には切り開きがあり、黄色いプラ杭も続いている。ところがいつの間にか下っている。斜面を右にトラバースして尾根を視認し、切り開きを戻ると分岐はヤブに隠されていた。(ここから先には筆界の杭はなかった。)すぐにまた向きが変。ここもヤブで見落としていた。 尾根上は多少のヤブはあるものの、湿気た林道より気持ちがいい。コンパスはポケットにしまわずに首から下げっぱなし。 最低鞍部からコブに登り4等三角点黒落に着いた、はず。所が標石が何所にもない。北斜面を中心にかなり下まで探した。南も西も・・・・・、ない。もう一度テッペンに戻り、北に下ると小汚いクイが目についた。 |
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4等三角点黒落(清掃後) |
プロットした地図 |
ここからは一本調子の下りになるので高度計を校正して、「550mHくらいで分岐を右に」と頭に入れる。下になるほど広葉樹が多くなる不思議。そして、最後の植林の中を下り公民館の目の前に降り立った。 《後記》 「おじさんが黒落に山頂なんかない。」と言ったのは理解できる。堂塚から歩くとほとんど高低差がなく、里から見るほどの「山」とは思えなかった。 以前の中日新聞日曜版の「おじさん図鑑」に加圧タイツは効果があったと書いてあった。それではと一番安いのを購入し、今日試してみた。何時も足がつって困ったが、今回は翌日まで症状なし。これはいい。 |
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井尻〜自宅 飛騨街道で 行65分 帰75分 | |