鳥屋日陰・鳥屋峠

三角点鳥屋峠近くの林道中出線から見る鳥屋日陰
三角点鳥屋峠近くの林道中出線から見る鳥屋日陰

鳥屋日陰(三等三角点) 990.3m  鳥屋峠(四等三角点) 904.6m

               東白川村 2016年3月12日(土) 地形図「加子母」 

鳥屋峠周辺地図

《鳥屋峠について》

岐阜国道工事事務所HP内の『美濃の峠』(容量の関係で現在は削除)によれば、「享保17年(1732)以降、有本村の庄屋を(越原村の)越原家が兼務し、頻繁に連絡が取られていた。行政上必要な書類を入れた符箱が越原庄屋から有本の組頭へわたる時においてこそ、この鳥屋峠は活用されたのである。」とのこと。
物資は桜峠を通ったようだ。

この峠を調査された兼山町の教諭は、有本からも曲坂からも峠道を見付けられなかったと記している。


【時間】

駐車地点08:55−鳥屋峠09:40−鳥屋峠(三角点)10:10−鳥屋峠10:30

−鳥屋日陰11:10−林道曲坂線出合11:45〜12:00−駐車地点12:15


《鳥屋峠へ》

林道曲坂線のカーブの土捨て場に車を置いた。山歩記さんの記録の通り、カーブの先端から短い林道に入り、沢を渡り、辺りを探すが峠道は分からない。この辺りでもたもたすること10分。

コンパスで谷を確認して進むが、伐採された杉の枝や先端部分が谷沿いに捨てられていて歩けない。仕方なく作業道に上がり、谷付近を進むとようやく峠道を見付けた。ここから尾根に上がるが、尾根上には下っている道もあり見に行きたい気もするが先を急ぐ。

谷の左岸、峠道辺り 作業道の先に現れた峠道
谷の左岸、峠道辺り 作業道の先に現れた峠道

峠の馬頭観音峠道は林道中出線で切られていて、山歩記さんの案内通り「左折20m先」に道が続いていた。

少し上ると馬頭観音様がおられる鳥屋峠に着いた。
造林作業さえなければ、はるかに容易に峠に着けただろう。

石仏の銘文は「有本(村)笹俣儀平建立 弘化四年」だそうだ(『美濃の峠』よる)。また、有本に下る道は明確に続いている。

何時か機会があれば鳥屋峠越えをしたい。(今日は予定があり無理。)
(後記:2016/04/25鳥屋峠越え


《三角点鳥屋峠》

四等三角点鳥屋峠峠で右折して境界尾根上を行く。コブから65m下り、笹に埋もれた四等三角点鳥屋峠に対面。

上り返す体力がもったいないので20m下の林道中出線に下ったが、ここにはヒモ氏の仕業が残っている。

林道を通って鳥屋峠に戻った。


《鳥屋日陰へ》

鳥屋峠で左折する。笹原の中に道はあり、国土調査の杭や地籍調査のプラ杭が続いている。また、尾城山や棚橋でも見た「西野家 安江○○」の杭もあった。板取の長屋家には及ばずと言えども、かなりの山持ちなのだろう。

展望が開ける所があるが、植林した後に鹿の食害を受けて笹原になってしまったようだ。自然林になるとイノシシの寝床があり、ひょいと白い杭が見えた。

山歩記さんの画像を見ると、切り開かれていて座れるところもあるように見えるが、いまでは笹原。こんな所で休みたくないとすぐに下山した。
境界尾根 三等三角点鳥屋日陰
境界尾根(鳥屋峠〜尾城山〜大ナギ) 三等三角点鳥屋日陰


《林道曲坂線に下り、車に戻る》

三角点のすぐ北の尾根を下る。踏み跡はかすかに残り、境界杭も時々出てくる。またイノシシの寝床があった。そのすぐ下に作業道が横切っていたが、これの行き先は想像できない。

イノシシの寝床 作業道
イノシシの寝床 作業道


そのまま尾根を下るとまた作業道が見えるが、踏み跡はなくなる。でもピンクのテープのある左の尾根を下ったが段差があり、作業道に下りられない。トラバースして予定の右尾根から道に下りた。

ここから下に舗装道路の林道曲坂線が見えるが、すごい急斜面で辛そう。この作業道の勾配からすればわりと近くで林道に下りられるだろうと荒れた道を行くと谷から林道に出合った。

ここで休憩してから車に戻った。
その後、中津川市加子母地区四等三角点角領東に向かう。

林道曲坂線出合 出合から50mで舗装が終わる
林道曲坂線出合 出合から50mで舗装が終わる



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