シャレ山から見る室兼高屋(左)とイバラダワ(2011/2/20)
室兼高屋(V△・高屋) 678.6m イバラダワ 650m |
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加茂郡七宗町 2015年8月24日(月) 地形図「金山」 |
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《石作山について》 ウエブサイトは元より、一部山岳関係の書籍でも安易な山名の創作が横行している。 今年1月の遭難騒ぎの記事の中では「通称高屋山」とされていた。これは点名+山で、この付近では萱原山との山名も見かける。この手の安易な命名はいただけない。 右の画像は「七宗町史」の見開きのページにあった。 郷土史の信頼性を疑う事例が2件連続し、三角点高屋は従来通り「室兼高屋」としたい。 (2015/10/10訂正) |
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【登り】 P 09:15 ↓ 石作山山頂 11:15 【下り】 室兼高屋山頂 11:40 ↓ イバラダワ山頂 12:15 ↓ P 14:05 |
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《駐車地点から室兼高屋山頂》 前回(2008/6/16)あった渡渉の為のハシゴがなく、浅瀬を渡ったがズボンの裾を濡らしてしまった。渡った先は畑の跡だろうか石積みで平地が2段あった。 前回下った道を歩くが雑木が茂っている。踏み跡が薄くなり、仕方なく尾根に上がるとヒモが3・4m間隔に付けてある。例の「ヒモ氏」の出現だ。 不愉快な気持ちで30分ほど登って行くと芯が枝にしばってあり、そこから先にヒモはなくなった。予備の持ち合せがなかったようだ。ヒモ氏はこの後、引き返したのか登ったのか。 もしかしたら、ヒモ氏はそのまま登山を続け、道に迷い、県警のヘリにピックアップされた、なんて。 565mPの下の斜面では道を見失い、直登。これはやばい。そして平坦になると道と出合った。下りはこれを行こうと長めのマーカーを付けた。 岩を乗り越え乗り越え、以前はもっと巻道があったようなきがするが・・・・・。ようやく山頂に到着。 「室兼高屋山」なる、何所から持って来たか分からない表記の山名標を見ながら昼食。 |
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イバラダワを背景に山頂 | 石作谷左岸の国有林界 |
《室兼高屋山頂から国有林界図根点細洞》 運動不足でヘロヘロだが図根点細洞の標石だけは確認しようと歩を進めた。 薄い踏み跡を下ると、細洞の標石。境界見出標には御料三角点と油性ペンで書いてある。 ちなみに、2008年当時の画像を見るとL型アングルの境界見出標はなく、それ以降に設置された時に書かれたのか。 そして、御料局三角点と確認。その裏の右画像の文字が読めない。 とにかくここが御留山境界絵図の土塚六番「イバラダワ」。 |
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《イバラダワ山頂へ》 細洞の次の標石の見出標には探究標と書いてある。「界六八二」の横にうっすら「探究標」と読めなくもない。 トラバース気味に進むと677番。ここから石作谷に向かって国有林界は落ちて行く。 2013年にs-ngmさんが石作谷から見上げて諦められたそうだが、この急斜面を下ることは出来ても登れないだろう。 そしてここが絵図の土塚七番「茂太夫高屋尾」だろうか。もしそうならイバラダワは茂太夫高屋なのか。 ここから尾根を登り、イバラダワ山頂に着いた。 8年前と同じように索道の残骸と、以前はなかった石積みが迎えてくれた。 |
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索道の残骸 | 石積み |
《下山》 重い脚を引きづりながら下って行くが、565mP付近の分岐点を忘れて通り過ぎてしまった。この特徴のない斜面の下りは左にずれても道に出合うが、右にずれたらガケで行き止まりになってしまう。 渡渉点に何かあるかもしれないと、ヒモ氏のテープに沿って下ったがやはり何もなく、車が見える所で強引に本谷を渡った。もちろん靴は水没。 水に濡れた靴下を脱ごうとするが、なかなか脱げず太ももがつる。どうにか着替えを済ませたが、足がつるので靴下を履くことができず、石田純一状態で帰路についた。 《後記》 最初の予定では、室兼林道から大坂峠に上がり、細洞林道終点から図根点細洞を見て本谷に下る周回コースを考えていた。しかし、時間的に無理があると分かり、今日のコースにした。 もし、予定のコースを歩いていたら565mP下で道に迷い、引き返す余裕もなく危ないところだった。 とにかく、この2年数か月のブランクで、脚は弱り、度胸はなくなり、地形に対する勘は見る影もない。しかし、百か日が過ぎ、山を歩けば何も考えないし、こうしてホームページを作っていると気分が紛れる。 さあ、山を歩こう! |
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美濃一人>山名録2015>室兼高屋・イバラダワ |