山名録 2014年

美濃一人>山名録2014年

幸か不幸か、今年も多治見市高社山周辺の散歩の記録のみか。

高社山の散歩道

 地点の名称
 地点の名称


 散歩道の概略図
 多治見高社山散歩道


《所要時間》

普賢寺の駐車場に駐輪または駐車、墓地の横からドコモの基地局、車道を歩き参道から高社神社、少し戻って、展望台から三角点を通過し南尾根を歩き、明神洞川右俣から秋葉神社、大沢川に架かる橋を渡り、川沿いの道を普賢寺駐車場に戻るコースは自宅基点で2時間30分。
(逆回りも同じくらいの所要時間)

1月3日 橋〜秋葉神社南側の尾根を登る。上部は薄いヤブで道はない。
1月5日・16日・22日・2月6日
2月9日 雪の朝、家から歩き、橋から登る。秋葉神社上部から三角点分岐までイノシシ2匹の足跡があり、採石場上部東に10cmくらいの倒木が2本。次回はノコギリを携行。高社神社にはアホな若者2人が紅白のフンドシ姿でいた。写真を頼まれたのできっと「高社神社雪now」とブログに載せるのだろう。車道には若葉マークの付いた軽が停めてあった。(三角点に寄らず2時間30分)
2月20日k 採石場上部東の倒木は処理してあったが、展望台北には雪で折れた木が2.3本あり、ノコギリで切った。三角点の東には真新しい靴跡、谷道はイノシシの足跡だけ。MemoPadのGPSで記録をとったが精度は悪い。
2月25日・3月4日・8日
3月11日 前畑保育園の遠足に出合った。ショートカット道と参道の出合にヒモが張ってあり、そこから出てきたおじさんに「何処から来たの」「何してるの」と矢継ぎ早な質問。参道のヤブ切りも人の役にたっているようだ。9時30分から11時30分までの予定だそうだ。高社神社まで50分くらい、園児たちて結構速い。
3月15日
3月23日k
 幹がネジネジの木をたくさん切ったがアセビだった。今満開。
4月1日 大沢川を渡り、山道に入ると大きな枯れ枝が道に、はみだしている。ヤブに押し込んだが、目の下に引っ掻き傷。大原秋葉様の手前に前からあった15cm位の倒木が完全に倒れ道をふさいでいる。枝を切り、力づくで排除。採石場の上部で前からあった30cm位の桧の倒木が更に倒れている。枝を切って下をくぐれるようにしたが、完全に倒れたら厄介なことになる。ドコモから山道に入ると前からあった20cmくらい松の倒木が完全に倒れ、道をふさいでいる。先端を折り、端っこに寄せた。普賢寺の墓地の北側、畑の横に青々した二又の倒木。これは参った。枝を切り、どうにか乗り越えた。3月30日の春の嵐はすごかったんだ。株立ちになる灌木をたくさん切ったがコバノミツバツツジだった。今咲き掛け。
4月8日 ノコギリ携行。谷沿いから採石場上部、大原秋葉様付近の倒木を片付けた。
4月10日 コバノミツバツツジ満開、ヤブツバキは落花盛ん。シキビの花も見た。
4月12日16日 今日から(?は)自転車で普賢寺へ。
4月19日 参道ですらヤブで塞がっているところがあったが、山道は誰かが手入れしないと荒れるんだと、ヤブを切るようになって気付いた。採石場上部の倒木は段々下がってきたので少しでも谷側に倒れるように立木を切った。
4月24日・5月4日 山ツツジが咲きだした。
5月7日・11日 採石場上部の大木の倒木は地上2mで宙づり状態。
5月16日 南尾根から谷を見るとヤマボウシがたくさん見えた。倒木は1.5mH。
5月20日 採石場上部の桧の倒木が処理されていた。ノコで切断したようで、直径30cmあり、折れた箇所では35cmはあった。完全に倒れたら迂回路をと考えていたが、この太さの倒木を切ってくれる有志がいたとは驚いた。
5月25日・28日K・6月1日花期の長いヤマツツジも終わり、寂しくなった。
6月3日ショートコースS
6月17日 普賢寺の墓地の横の入口に赤いビニールテープ、農免農道の出口にも。大原秋葉さまに向かう入口には綺麗な赤いリボン、その他の分岐ごとに赤いビニールテープ。基本的には撤去の対象だが普賢寺から歩いているので、山頂丘の2ヶ所以外は大目に見た。散歩道を歩いてくれたかと楽しみに三角点に着くと、その先にビニールテープはなく、あまり意味の無いマーカーだ。
毛虫のシーズンは終わり、蛾のシーズン。谷沿いの道は一歩進むたびに2・3cmの蛾が何十と舞い上がる。また、イノシシに食われたと思っていた採石場上部のササユリは健在だった。
6月24日

最近の散歩道 自宅を起点で2時間20分(普賢寺まで自転車)
 散歩道

7月1日 南尾根から神明洞右俣に散歩道を作り始めて1年がたった。散歩道は手入れしなくても10年は道がたが残るようにと、毎回切っている。でも昨年切った切株から枝が伸びてくるので2・3年で一部はヤブになりそうだ。また、ショートカット道とその出合、ピピの送信所の横、展望台から三角点に向かう入口、採石場上部、また山頂丘などの一般道もかなり整備した。それと大沢川の橋〜大原秋葉さまも綺麗になった。ただ、普賢寺の墓地西側の道は切っても切っても夏草がすぐに伸びるのであきらめ気味。
7月6日 雨上がりで谷道は気持ち悪いだろうと、一般道で一回り。だのに3人とすれ違った。
7月9日 炭焼き窯跡が倒木で破損していた。昨年の6月30日以来2度目の転倒、ともに濡れた岩で滑った。前回はしりもちをついて左手首を強打。今回は横に滑って左膝を強打。
7月15日k・7月22日 いつものじっちゃんに普賢寺への道を教えた。車道よりずーと良いはず。
7月25日 ヤブ切り以来ストックを持たなかったが、ヒザが痛く今日からストックを使用。左手にナタ、右手にストックで特に問題ない。谷沿いで倒木を処理。15cm×3mくらいのツルで宙づりの木と地上70cmで道を塞いでた直径20cmくらいの木。本日の最高気温39.3℃。
7月27日・7月31日・8月7日 雨上がりのため三角点までピストン、内回り。
《中韓は 一桁サバ読み から騒ぎ》 夕雲
8月13日 10日の台風11号で倒木多数。橋からの雑木林の中には、葉を茂らせた複数の木が絡まって倒れている所が3ヶ所。とりあえず迂回路を作ったが蚊がいなくなってから復旧する。谷沿い・山頂丘・ドコモ〜普賢寺には枯れ木の倒木があったが処理できた。炭焼き跡は太い倒木で大きな石が崩れた。

迂回路の地図迂回路設定
畑の横の山道は夏草に埋もれたので、右地図のミドリ色のルートに迂回路を設定した。

8月31日 内回り。参道の入口に新しい石碑が設置されていたが、除幕前で碑文は不明。
9月6日 橋の北側の倒木の処理に出掛けた。最初の箇所を仮復旧して2番は回りを切り、3番は取りあえず通れるようにした。登り始めるとペットボトルを落としたことに気付き、引き返す。散歩はあきらめ、倒木の処理に集中。3番目の箇所は生木なのでゴム太郎では歯が立たず、倒木の雲梯渡りで妥協。1番目は懸命に切り、道にしたが、迂回路を整備した方が早かった。とにかくヤブ蚊が多く、重装備で対応。
9月13日・9月17日 炭焼き跡の太い倒木は持ち上がらなかった。被害拡大。
9月21日 畑の横の山道の入口の草が刈ってあったので入ったら、バリケードで塞いであった。
9月27日・10月1日・10月7日 台風18号の被害は軽微。
10月17日 台風19号の被害は皆無。山頂の道標撤去(一定の広報効果だあったので)。採石場が稜線まで削り、コブがなくなり、大きな石が谷まで落ちてきている。
10月29日 今日から車。秋葉神社の上部で15〜20cmの倒木が2本処理してあった。前から気になっていたが、大原の誰かが整備してくれているようだ。また迂回路の沢の辺りも手入れされていた。
11月5日 炭焼き跡の倒木が脇にどけてあった。感謝。
11月18日 えん堤へ下る分岐付近は急斜面を下り、登り返すようになる。ここにショートカットする道を開いた。また旧浄水場付近の倒木には閉口し、迂回路を開伐中。
11月22日 旧浄水場付近の迂回路は完成。あとは踏み跡を付けなきゃ。
11月23日 開いた道に踏み跡を付け、止め木をした。

国土基本図【もしかして】
右の地図は昭和48年5000国土基本図なのだが三角点(青三角)に高社山の表記がなく、このページの最初の地図にある「北峰」(緑三角)に高社山と表記がされている。
根本の辺りから見ると山頂に見えるのはこの峰になるので、あながち間違っているとは言えない。
それにしても、昭和48年なんてついこの前なのに、こんな表記の地図があるなんて。

12月2日・12月9日 御神木の辺りに6日の雪が残っていた。さすが「山」だ。
12月18日(雪)冬の靴を履いて歩いたが、意外に積雪が少なかった。普賢寺横の畑の倒木がようやく伐ってあった。8ヶ月ぶり。
12月28日 今日も目に付く雑木やコシダを切りながら歩いた。この一年、よく飽きもせず同じ道を歩いたものだ。




高社山大回り(右俣〜左俣)
 神明洞

1月10日(金) 時間は家を基点に3時間10分。
右俣の岩のガケ記号の谷で靴が完全水没。最初からイノシシの道を通れば良かった。
一昨年?里に下された根本秋葉神社には「秋葉神社跡地」の石碑が建てられていた。
北の展望地東の尾根道は最近も雑木を切ったようだ。なぜ?
1月24日 足元の危ない谷筋は良い。次の一歩以外、何も考えない。3時間30分。


2月7日(金) 北小木から高社神社への参道探し
北小木からの参道
高社神社「改築記念の碑」には大原村・根本村・小木村(現多治見市北小木)の産土神とある。

大原からの参道は普賢寺から続いているし、根本からの参道は諏訪神社から犬山街道を通り根本秋葉さまを経由して続いている。ところが、北小木からの参道がない。

1月24日明神洞左俣から右手の尾根を見上げるとヤブが薄く見えた。もしかするとこの尾根上に道があのか。それを確認する為に出かけた。

三角点に着くと人がいて、「高社山山守りの会」の地図を見てみえる。大まかに説明し行きかけると「ついて行ってもいいですか」と、勿論大歓迎。僕が伐った道を、僕とイノシシ以外の生き物が通るのは初めてだろう。

明神洞川右俣に出合う。その人にはナタ目が入れてあり、概ね谷芯の左側に道がつけてある旨を告げて分かれた。そして僕は右へ、V字谷はイノシシ君の道で迂回して分岐に着いた。

なるほど、左俣と中俣の間の尾根の末端にはちゃんと踏み跡があり、赤いビニールテープも続いている。今回は先人に敬意を表してこの目印は撤去せずにおいた。

薄い潅木のヤブの抜けると分岐になる。この道は前回来た薄い踏み跡。右へ行くと高社山「北の展望地」に着いた。ここから尾根道を通ったがもともと道があったのだろう。鞍部からは小泉村と姫治(ひめじ)村の境界を通り高社神社に着いた。(3時間)

3月28日 2月7日と同じコースを歩く。3時間25分。谷沿いは前回よりも倒木が多く、歩きづらい。尾根の取り付きの急勾配を考えると、北小木からの参道はやはり左俣からの谷沿いのような気がする。

炭焼き跡
高社山山域内唯一の民族文化遺産・炭焼き跡


山名 標高 所在地 日付
弥勒山(西斜面) 春日井市 2014/9/9
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