喜多緑地

石碑広場の峰 喜多町境の尾根
石碑広場の峰(右の画像共に我家から見る) 喜多町・赤坂町境の尾根

喜多緑地 多治見市喜多町 2013年2月1日・2月11日・2月20日

喜多緑地地図


《喜多緑地》

岐阜県可児郡小泉村大字北字西山(多治見市に合併される昭和19年2月10日以前の住所)一帯。


《2月1日》

ママチャリを北口広場に置き、石碑広場へ行く。ここには「冨士浅間大菩薩、文政九丙戌4月吉日」の石碑がある。ここで引返し、管理棟まで行く。遊歩道に入ると喜多団地の上に展望台があり、高社山の右下に我家が見えた。

遊歩道を行くと最高点とおぼしき所には桧の林があり、この尾根を行けば赤坂グランドに出られそうだが少々ヤブぽっく、次回の楽しみにとっておいた。


《2月11日》

ママチャリを北口広場に置き、遊歩道を行かずに左手の踏み跡に入ると石碑広場に出た。この踏み跡は大字北字才竹の村人がお参りに通った道なのだろう。ここから八幡神社へ向う。公園内の遊歩道が終わると楽しい山道になり八幡神社の拝殿前に出た。ここから清照稲荷神社へ行く。

こちらはにぎやかで、本殿の一段下には、祠が2つ。金比羅神社と秋葉神社。石碑は秋葉神社、御鍬神社、蚕玉(こだま)神社、山神に役(?、人偏に口、その下に又)行者。沢の向こうには御嶽神社と色とりどり。

喜多緑地を出て、車で2回行ったが発見できなかった喜多町西遺跡公園を探した。えらく奥まった所で発見、ここは難しい。公園内の案内によれば3・4世紀と8世紀の住居跡があるそうだ。付近の宅地や畑と同じ地面の高さなのによく残ったものだ。

家の近くに1800年も前から人が住んでいたと思うと何だかうれしい。


《2月20日》

ママチャリを駐車場のトイレの横に置き、遊歩道に入った。西山最高点(酒井田川と西山谷川と辛沢川の分水界)から西へ向う山道に入った。よく踏まれた道は小泉村と池田村の境界になるようだ。

北に尾根が見え出すと、その上が赤坂グランドで、そのまま直進すると、旧農免農道の峠に出た。

引返して遊歩道に戻り、休憩広場から池田1号古墳へ向う。すると、案内図にはない展望地があり、結局はここが喜多緑地の最高のビューポイントのようだ。(浅間山、笠置山、丸山、恵那山、屏風山等)

その先の展望広場は展望がなく、次の展望広場からは多治見市街が見える。池田1号古墳からは車道を歩き、西山谷に入ったが見るようなものは無く、一回りしてトイレ横に戻った。



美濃一人山名録2013喜多緑地