前山

松田から見る前山、左のコブが徳ノ城址
松田から見る前山、左のコブが徳ノ城址


恵那山前山 1350.7m 中津川市 2012年7月16日 地形図「中津川


【登り】

P 08:05
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尾根に取付く 08:15
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徳ノ城址 09:35
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T字路 10:25
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山頂 10:35


【下り】

山頂 10:55
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登山口 12:25
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P 12:40
コース地図


《前山のルート》
『続ぎふ百山』の概念図
1995年6月、『続・ぎふ百山』の「案内」の記述を参考にして地蔵堂川左岸の道の三叉分岐から右の道を行き四ツ目川のえん堤付近で尾根に取り付く道を探した。

一つ目のえん堤を越え河原を歩き、二つ目のえん堤まで行くが道は見付からなかった。

右図は『続・ぎふ百山』の概念図だが、これで道を探せる訳がない。
ルートは全く想像できないし、尾根は不思議な配置になっている。

1996年3月『続・山旅徹底ガイド』が刊行され、これに記載のルートならば間違いなさそうなので、その年の6月にこのルートで登っている。

今回調べてみると『飛騨の山山(国境編)』にも四ツ目川のえん堤付近から尾根に取り付くルートの記載があり、概念図はもちろん正しい。こちらを参考にしていれば、なんとか尾根に上がったかもしれない。
(ちなみに、『美濃の山』は刊行前)


《登山口》

取付きは、行けば思い出すだろうとWEBで調べなかった。三叉分岐の右は違う。左だったか、真ん中だったか。とりあえず車をバックさせ200mほど戻り、路肩に駐車した。

準備をしてスタート、雲が低く垂れ込め尾根は全く見えない。三叉分岐にやって来たが思い出せない。何所を行っても行き先は同じなので真ん中の道を行き、すぐに右手の人工林に入った。

雲に覆われ尾根は見えない 入山箇所
雲に覆われ尾根は見えない 入山箇所


僕にとっては、わりとメジャーな山なのに踏み跡が全く無い。変だ変だと思いながら進むと道に出合った。なんだ!左の林道から新しい道が出来ているんだ。


《徳ノ城址》

1996年当時は若い植林だったが、今では伸びて展望が無い。でも時々高峰山が顔を覗かせる。

この上に城跡があったが道の全てが虎口だ、またこんな山奥に立てこもっても、敵軍は素通りするだろう、などと思いながら急な斜面を登って行くと徳ノ城址に着いた。真新しい卒塔婆が立ててあり、お花も新しい、そう言えば美濃地方はお盆だった。

カエル岩と虎口 盆供養
カエル岩と虎口 盆供養


どう考えてもここで大掛かりな戦闘があったとは思えない。やはりここは遠見の場所だったのだろう。(カシミールで見ると中山道から木曽川流域・中津川流域まで見通せる。)


《尾根道》

岩尾根を登る。そう言えば恐ろしい程の山抜けした箇所があったっけ。まだかまだかと思っていると稜線が見えてきた。何時の間にか通過していたようだ。

前回、T字交差点からは視界一杯に恵那山が見えたが、ヤブが伸びて枝越しにしか見えない。でも、雲で隠れることもなく、切れ切れながらも全景は見える。少し下り、登り返すと山頂。切り開きは前よりは広いが、やはり恵那山は見えない。

三角点
三角点 青空 梅雨明け間近


《下山》

以前あった支尾根に迷い込むような箇所もなく順調に下って行く。さて林道のどの辺りに出合うのかを楽しみにして下ると低いササ原に明確な道があり、三叉分岐の左手の林道に下りた。そうそう、これを奥に行くとえん堤の所で終点のはずだ、と思い出した。


《感想》

『続・ひと味違う名古屋からの山旅』には「今日通過した道がいつまでもつのだろうか」と書いてあり、私もそう思っていた。しかし山の復元力はすごい。帰路で確認したが、あの山抜けした箇所は木の根っこが回り込みマサドを固定していた。

また、他の山抜け箇所は、城跡を整備されている宗教団体の方々が手当して下さったのか、反対側の斜面に迂回路がつけてある。また、迷い込み易かった支尾根のコブは巻き道が開いてあり、草刈もされていて、安心できるコースになっていた。

以前、何ケ所もあった山抜けの場所は道の上にマサドが見えていたが、今回は全般的に落ち葉が積もるほど安定しているように見えた。しかし長い時間で見れば崩壊に向かっているのだろう。



美濃一人山名録2012前山