神崎から見る舟伏山
舟伏山 1040.3m 山県市美山地区 2012年7月10日 地形図「谷汲」
【登り】 あいの森 09:20 ‖ 桜峠 10:05 ‖ 山頂 11:25 【下り】 山頂 11:55 ‖ 石仏 12:40 ‖ あいの森 13:30 右の地図で、歩いたコースはよく分からないので太い破線で表記 |
《思い出 1》
1988年7月、『奥美濃』を参考にして、お墓の所から登った。石仏が道案内をしてくれ、4体目の石仏が桜峠。
薄い踏み跡を頼りに急斜面を登り、人工林と天然林の境を行くとみのわ平。この辺りで、若い植林の陰で休んでいる人と遭遇した。「熊か?2本足とは思ったが」と驚かれたが、私はそれ以上に驚いた。
山頂丘の手前の登りは潅木のトンネルでかなり苦戦した。山頂丘を東の端から西の端へ、着いた山頂は高木に囲まれた井戸の底。
狭い切り開きでおじさんと差し向かい、おにぎりを食べながらお話しをすると何と大正10年生まれとの事で、当時66・7歳だった。今思えば驚くほどの年齢でもなかった。(その年齢に自分が近づいたから)
下山はご一緒し、瓢ヶ岳の鬼の首のお話しを聞いた。
《思い出 2》
1992年4月、この回も同じくお墓の所から登った。桜峠で休んでいると尾根から登って来られた方がみえた。何所から来られたのかとお聞きすると「あいの森から」と言われたが、全く分からなかった。
山頂は広々と切り開かれ、ついウトウトと眠り込んだ。するとさっきの方が「下山しますから・・・。起こさないでおこうと思いましたが・・・、遅くなるといけないので・・・」と起こして下さった。
下山は「あいの森」が何処かも分からずに、その方が行かれた方へ下った。林道に出合ってからの林道歩きの長い事、まさか地形図の実線の終点があいの森だったとは。
《思い出 3》
一番辛い思いを抱えての山歩き。2000年9月、今と同じ毎日が日曜、でも決定的な違いは失業中。
あいの森から時計回りで歩いた。西側の石仏の辺りで異様な風体の方とすれ違った。その方曰く、「花の山といっても登山道を歩いていてはいい花は見られないよ」と。頭には工事用のヘルメットがのっていた。
きっと同じ向きだったら、その場所を知られたくないからそんな事は言われなかっただろう。
《本日、登り》
先客が1台、用意をしているともう1台。桜峠まではよく手入された人工林、そこからは広葉樹の天然林。尾根に近づいた辺りでみのわ平の散策に入った。
桜峠の峠道? | みのわ平の植林界 |
尾根の反対側は人工林、5・60年くらいか。24年でこんなに大きくならないから、あの時迷いそうになった5年目くらいの植林はどの辺りか。植林界を歩き、南へ下ると「みのわ平」の標識があった。
山頂丘の下は急斜面、電光形に登り、山頂丘を行くと切り開き。
《下り》
下山の用意をしていると男の方が登ってみえた。お昼どきなのに山頂を素通りし、下って行かれた。
広場から西へ行くと登山道は尾根を離れる。この時、今日の課題の西へ下る尾根の様子を見るを忘れた。
もう一つの課題は西の石仏の位置。皆さんのGPSの軌跡を見ると700mくらいと見えるが、最低鞍部は637mPの南。さてどの辺りにあるのか、楽しみにして天然林の中を下ると、やはり700mくらい。えらく高い位置に峠はあったようだ。
ここからは植林された尾根を下る。ここの木々には熊の皮剥ぎ防止のナイロンロープが巻いてあり、急な傾斜地では大変な作業だろう。480mくらいで谷川に出合い、林道を歩き、車に戻った。
熊の皮剥ぎ防止ロープ | 谷沿いの道 |
《感想》
どの山を登ったかよりも、その時の出来事の方がより記憶に残っている。もちろん低山ならではの事だとは思うが。
《追記 舟伏山南面の峠道》
大垣市在住の方が古い地図(昭和27年発行)をお送りくださり、それによれば2つの石仏間にはほぼ等高線に沿って破線の記載があり、昭和初期には舟伏山の南面に峠道があったようだ。
西の石仏から西は急斜面で踏み跡は無く、登山道を東へ行き折り返し点を直進すると沢のガレ場になり進めなかった。
東の石仏から西へ向かう峠道はどの辺りまで行けるのか・・・・・、山頂直下の尾根の出合いにはもう一体の石仏がおわすのか・・・・・、見に行きたいものだ。(2012/7/19追記)
広見 | 10 | 春里 | 15 | 41交 | 15 | 248交 | 15 | 自 | 63k |