高社山


高社山・根本探訪
 多治見市根本 2012年6月29日 地形図「美濃加茂


《時刻》

諏訪神社 09:15
  ↓
根本大杉まさ 09:35
  ↓
根本秋葉さま 10:00
  ↓
高社神社 10:15〜10:25
  ↓
神明洞中俣下降 10:30
  ↓
神明洞の分岐 11:10
  ↓
左俣上り、道出合 11:30
  ↓
諏訪神社 12:00



《 『根本をたずねて』 》

プリンスNORI」こと「ノンキ君」が多治見におられた時、多治見市図書館で郷土史の資料に目を通され、『根本をたずねて』と言う書籍を見つけられた。

私もその本を見て興味が湧いた。その中の「可児郡小泉村根本略図(明治時代)」の地図には犬山街道や久々利街道、また意味ありげな中屋敷・下屋敷の小字名がある。
また、高社神社の北には秋葉神社・大杉神社が記されている。


《大杉社宮神記 伐木の由来》

上記古文書の要約が『根本をたずねて』に記載されている。それは(更に要約)
文化十三年(1816年)、根本近郷の領主旗本林内膳守越智への御用金調達の為、高社山の北側にあった樹齢3500・600年の神代杉を呼ばれた大杉を伐り倒し、売却したという。
また、直径1.2〜1.5mの大杉79本も伐り、高社山の裏の谷(神明洞)を堰き止めては流し、羽黒へ搬出したという。

この神代杉のあった辺にあるのが根本大杉神社(根本大杉様)なのだろう。


《犬山街道》

内津妙見神社の横から大原の奥の峠(東海自然歩道が横切る辺り)を越え、大沢川右岸を下り、農免農道に沿って高社山の麓を通り、地形図の破線路に入り諏訪神社の前に出て・・・・・。
(それ以降、大針までのルートの記載は地形的にみて納得できないし、検証も出来ないので省略。)
大針から大藪・塩・室原・長洞・今井・羽黒・犬山城下に至るという。


《本日の予定》

まずは根本大杉さまを探し、根本秋葉さまから高社神社へ行く。そこからは気分が乗れば神明洞へ下り、登り返して根本城址から下山することとした。


《根本大杉さま》

諏訪神社の駐車場に車を置くと、すぐ後ろに駐車された方がみえた。鳥居の前で一礼して参道を進まれるので声を掛けた。

その方は「犬山街道」は明確にはご存知なかったが、大杉さまはいとも簡単に道順を説明して下さった。

地形図上の破線路(犬山街道)が農免農道に出合うと、その正面の谷沿いにえん堤の工事の際の作業道がある。これを詰めて行くと、その先に根本大杉神社があった。祠は朽ちかけいて、その位置も『根本をたずねて』の写真とは違っているが間違いなさそうだ。

傍にパックに入った鏡餅が落ちているし、枯れてはいるが松枝も挿してあり、注連縄もまだあるところを見ると、まんざらほったらかしではないようだ。また、今そこにある杉の木は樹齢200年くらいと言うことになるのか、幹の径は1mくらいだ。

大杉さま遠景 大杉さま 大杉さま
大杉さま遠景 大杉さま 大杉さま


《根本秋葉さま》

農免農道付近まで戻り尾根道を登ると根本秋葉さまに着く。私自信この祠が大杉神社と思っていた。疑問の始まりは「山たまご」さんのこのページだった。どうして「秋葉神社・北」と明記されたのか。

疑問はすぐに解けた。不心得者がいて祠の扉を開けたままにしたらしく、中に秋葉神社改築の木札が収まっていた。扉を閉じようと思ったが触らぬ神に祟りなし、そのままにしておいた。

根本秋葉さま 秋葉神社の木札
根本秋葉さま 秋葉神社の木札



《高社神社から神明洞中俣下降》

尾根を登り高社神社に着くと、ちょうどトレランの練習なのかご婦人が参道を登って来られた。お話をすると僕ン家の上段の方でビックリ!
小秀山には5回の行かれたという。また、一回に120kmも走られるとか。すごい人がご近所さんだった。

この方はR248に下られるとのことなので、僕は神明洞を行くことにした。


《神明洞中俣を下り、左俣を上る》

谷は去年の秋のゲリラ豪雨で見違えるばかり、前回下った時はこんなに荒れていなかった。支谷が崩れて倒木が塞いでいるのが2ヶ所、谷芯はえぐられ大きな石が詰まっている。

まだかまだかと泣きそうになりながら下るとようやく右俣の分岐に出合い、10mくらい下に左俣の分岐があり、これを上る。こちらの谷は広くて十分に歩ける場所がある。

ガケ崩れで埋まった谷 中俣・右俣の合流点
ガケ崩れで埋まった谷 中俣・右俣の合流点


ゴルフボールが散乱するようになると谷が分岐する。どちらにするか・・・、地図を探すと・・・、落としたようだ。しかたなく真ん中の尾根を登ると道に出合った。


《下山》

根本城跡は右か左か。左に行くがゴルフ場近くになり間違ったと思い引き返す。地図がないのは致命的だが、里山なのでとりあえず進む。分岐になったが東方向を優先し、そちらを行くと秋葉さまの下だった。

さっき登った道を下り、農免農道を横切り諏訪神社に戻った。


《大杉神社について》 2019/07/13追記

『翁のたわごと』によれば大杉神社は『お社護様」と呼ばれ、痔の神様だとか。


美濃一人山名録2012高社山・根本探訪


根本探訪(第二章) 2012年7月5日


【時刻】

諏訪神社 08:55
  ↓
緑破線行止り 09:45
  ↓
根本城跡 10:25
  ↓
諏訪神社 10:55




コース地図

《今回の目的》

前回、神明洞左俣から道に出合った少し先の所で、道(地図の緑の破線)が分岐していた。さてこの道は何所に行くのか。この道の周囲は全て歩いているのに道らしい踏み跡には出合わなかった。不思議に思い、気になるので見に行くことにする。


《緑破線路は行止り》

諏訪神社に車を置くと前回お会いした方がみえた。毎日お参りをされているようだ。お礼を言い、犬山街道を行く。秋葉さまの下を進むと前回は気付かなかったが沢状の所を下るようになる。昨夜の雨でかなり気持ち悪い。そして分岐。

すぐに、傾斜地に土を盛った土橋のような個所があり、この先にどんな良いものがあるのかと楽しみになる。

踏み跡が薄くなると尾根に出た。ここからは高社山の山頂丘が見える。右に少し行くと379m峰も見えたがここまで。左はコシダの中に薄い踏み跡が続くがとても行く気にならない。ここで行止りとしよう。

土橋 左・高社山山頂丘 右・379m峰
土橋? 左・高社山山頂丘 右・379m峰


まあ高社山で展望がある場所が珍しいと言えば言える。この付近で展望がある場所は、反射板の所と根本城跡くらい。以前は高社神社北西のコブと参道の途中にも見渡せる場所があったが、今ではどちらも雑木が伸び、何も見えない。

数100m先しか見えないが、ここは貴重なポイントだ。


《根本城跡》

ゴルフ場との境界を行き、右折する。すぐに右折する踏み跡に入ったがこれは間違いだった。次の分岐を右折して、しばらく進むと大きな堀がありこれを越すと土塁、そして文字の消えかけた木柱がある平坦地になる。

この平坦地が本丸跡だと思ったが、帰宅後に『根本をたずねて』のコピーを確認すると堀の北側が本丸跡で、堀を挟んで南側に曲輪が書かれている。

根本城跡北500mにある2つの溜め池付近に御殿屋敷があったらしいが、そこを攻め破った兵は当然すぐ近くの尾根から根本砦を攻撃するはずなのに、なぜ北側に備えず、南に曲輪を築いたのだろう。

下山は堀の東側の堅堀を横切り、遊歩道を下り、工場の敷地を通り諏訪神社に戻った。



美濃一人山名録2012根本探訪(第二章)