鶴里町細野から見る鶴岡山
鶴岡山(別名、西山・曽良山) 712.4m 土岐市 2012年6月11日 地形図「明智」
《時間と時刻》
うかつというのか、無知というのか、時間と時刻の言葉の意味を知らなかった。
6月10日中日新聞日曜版に大図解シリーズ「時計の歴史」の記事があった。
その中で「時刻と時間」の項に意味の違いが書かれていた。
時刻:時の流れの中のある一点
時間:ある瞬間から他の瞬間までの、経過した時の長さ
とある。
今まで、各ページの中で何の疑問もなく使っていた「時間」は誤用だと知った。90分は時間だが、1時30分は時間ではなく、時刻なんだ。
【時刻】
登り P10:05−山頂11:10 下り 山頂11:20−P12:25
《鶴岡山について》
酒井昭市氏著『飛騨の山 美濃の山』(昭和63年10月)の100ページ「北の山、南の山」の項で西山と書かれている。この山の名前について、「山の雑記帳 みのハイク>山のらくがき帳>鶴岡山について(2012年4月20日付)」でGG−さんが検証され鶴岡山とされた。
「鶴岡山」が美濃側の山名とあれば当然これを採用し、コースについては「アドレスで山 中高年なので山に居ます」の百草まるさんの細野城址からのコースを参照した。
また、上記書籍で、その項の最後に「同じ県境の山、三国山(701.0m)は車で登れる山。山上の三角点はいずくかへ消え、代わりにたくさんの地蔵さんが番をしてござった。」と記されているが、この三角点も百草まるさんの「土岐市を登る>三国山(2010年5月8日付)」のお陰で見付かった。
《駐車場探し》
ページトップの写真に写っている「ほそのファーム」のビニールハウスを過ぎると舗装路の終点が民家。どうにかUターンし、地元の人達の「何しに来た」と言う無言の抗議を受けながら引返した。
地図を見るとお寺があるようなので一本南の道を行く。お墓の前の駐車場は遠慮し、すぐ先の広場に車を置き、庫裏を訪れた。いかにも旧家の刀自という感じの方が出てこられ、駐車の許しをいただいた。
正福寺駐車場 | 正福寺庫裏 | 正福寺本堂 |
《登り》
最奥の民家で舗装は途切れ、地道を20mほど行くと左手に道がある。6月、あまり気持ちの良い道ではない。尾根に出合い、また尾根に乗る。低いササ原を行くと素人目にも分かる堀切がある。虎口、平坦地、また堀切。ここからササがなくなる。ササが有る無しの違いの原因はなんだろう。
尾根の合流点に立った。地図を見ようとすると暗くて読めない。その内にパタパタと朴葉を打つ音が聞こえ、見上げると雨が降っていた。ここから少し先にまた堀切があり、その北側の下15mくらいに石積みがあった。
堀切? | 石積み? |
最初は炭焼きの跡だと思ったが、明らかに違う。この辺りで、これ程の石が自然に堆積したとは思えず、はて堀切の下に防御線があるのだろうか。
薄暗い植林の中を行くと国界尾根に乗り右折、三角点はひっそりとササに埋もれていた。
鶴岡山山頂 |
《山頂にて》
雨はあがったようだが、急いでおにぎりを食べる。切開きはササに押されて狭くなったようだ。また、以前あった14名の名を記した「曽良山登頂記念・親子で登る1991年5月26日」の金属板はなくなっていた。
《下り》
山頂から下って国界尾根を離れ西進すると大きな岩がある。これが双子岩かな??と見に行くと岩自体に「双子岩」とペンキで書いてあった。
双子に見えない双子岩 |
尾根の分岐点からは左の尾根に入った。うまく行けば林道の終点辺りに下れるはずだ。薄い踏み跡を下ると階段状に平坦地があり、石も多数ある。これも細野城の遺構なのか、素人には分からない。
ドンドン進むと、林道に下りる予定の標高を過ぎていた。仕方なく背の低いササ原を下る。コンパスはわりと良い方向を指してる。そして、でっかいえん堤が見え、ヤブ越しに養殖池も見える。下りた所は綺麗に草が刈られた道だった。
長総第1砂防ダム | 養殖池 | 林道 |
対岸の林道に上がり歩いて行くと、お寺の本堂の屋根が見え、真正面にカローラが見えた。
《感想》
登りコースの山頂付近以外は天然林、秋から早春ならば気持ちの良い山だろう。
一部周回した為に1ツ目と2ツ目の尾根の出合いに付けた紙テープは残してしまった。
また、細野城址の遺構は明確で、近所の根本城址より規模が大きく感じた。
《おまけ》
我が家から見える山のランドマークは三国山の鉄塔群・潮見の森の展望台、それとNHKの中継所。
点名NHK中継所を見に寄った。
土岐市射撃場の看板から林道に入り、終点まで行くとNHKの中継所がある。辺りを探すとササユリが一輪、三角点はフェンスの中にあった。
展望、浅間山が見える | ササユリ | 点名NHK中継所 |
《方月山について》
百草まるさんが既に十分に調査されている。
そのページのコメントと重複するが、私の得た資料を記載する。
『東濃の古寺 東濃の橋 東濃の山』(S59,3 東濃教育事務所学校教育課編集)の「お富士・方月山」の項に写真があり「町役場から見る左・方月山 右・うしおど山」となっている。
また、笠原町 町民の歌(昭和58年10月制定・WEBで検索可能))に
「かざす手に 東の空に 肩並らべ お富士 方月
(かぐわし) かぐわしい 緑の息吹き」
とあるそうで、笠原町の山だと理解できる。
重ねて、『笠原町史』に方月山御料林立木払い下げの記録があり、陶ヶ丘公園にその記念碑があるという。(下線部追加、訂正 2012/6/14)
よって、方月山は多治見市笠原町になければならない仕儀と相成った。
記念碑の解説 | 陶ヶ丘公園展望台から見る左・方月山、中央・うしおど山、左・お富士(2012/6/14) |