尾城山・大ナギ

有本から望む大ナギと尾城山
有本から望む大ナギと尾城山(右)

尾城山 1132.9m 大ナギ 1144.7m 白川町 2012年3月3日

地形図「加子母


コース地図
【時間】

鳥屋谷合流点P 9:00
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尾城山登り口 9:20
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尾城山 10:10〜10:20
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大ナギ 11:30〜11:50
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お宮峠 12:15
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尾城山登り口 12:55
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P 13:20


《尾城山の思い出》

1998年8月『続山旅徹底ガイド』を参考にして、コース地図の林道終点から境界尾根を歩いて山頂北のコブまで行った。
当時は主に5万図を使っていたが、尾城山の「尾」の字で山頂の北の地形が隠されていて、あえなく敗退。

その年の11月に『美濃の山(第3巻)』が刊行され、有本から入山したが取付きが分かりづらかったと記憶している。


《林道御宮有本線》

有本のはずれの尾城山荘を通過するとすぐに工事中の看板。「全面通行止」となっている。少し迷ったが入ってみた。道はぬかるみ、とてもFFのカローラではスタックしそう。急いでバックして逃げた。

現在地が分からないのでUターンすると、「登山口まで2km」の標識があり、もう一度Uターンすると500m進んだ。登り口まで1500m、歩けば30分、下りはお宮峠から70分くらい掛かることになる。

思案。他に地図は用意していないし、歩くことにして車を置く場所を探すと、川の向こうの田んぼの下に路肩の広い所がある。橋を渡り車を置くと佐見川と鳥屋谷の合流点だった。

鳥屋谷 工事中の林道
鳥屋谷 工事中の林道

工事現場の入口には「自己責任で通行可」となっていて、4駆が下りてきた。工事は中断しているようだが、路面はそこらの林道より遥かにひどい。
別荘地に中を行くが、使われていないものが多く草ボウボウ。中には250万円を消して50万の物件もあった。(買っても良いかな〜、でも再生は不能)

そして、ようやく登り口、20分が経過していた。


《尾城山まで》

しっかり踏まれた沢沿いの道、4度沢を渡るとブナの林になった。谷が2分し右に入ったが踏み跡が雪に隠れた。いや道からはずれたようだ。右の小尾根を登ったが雪は緩く足がズボズボ、スッパツを着けてないので靴の中に雪が入る。

山頂直下の谷 山頂直下の尾根
山頂直下の谷 山頂直下の尾根

登り切ると、案内板のある山頂広場だった。まさに広場、ベンチが2〜30、東屋に石の山名標。全面切開きで小秀山から高時山の稜線は綺麗に見え、東に目をやると奥三界山の辺りは雲の中。振り返ると高天良山と案内板にあるが立派な山塊に見える。

小秀山から高時山の稜線
小秀山から高時山の稜線


《大ナギまで》

山頂から北へ行く。ここは有本から登った時、北のコブまで確認の為に歩いているが、当時は伐採された木々で歩きにくかった。そして北のコブで左折してすぐに右折。塩ビパイプの杭があり、この杭は大ナギ付近まで続いていた。

鞍部になった。予想通り、この付近で現在地が分からなくなった。北東に向かう尾根があるはずと引返す。不安になったら、不安の原因をつぶしていく。無いのを確認し進むと、また鞍部。すぐ右下に林道があり、何のことはない1ツ目の鞍部を2ツ目の鞍部を取り違えていた。

塩ビパイプの杭 鞍部の林道
塩ビパイプの杭 鞍部の林道

次のコブで左折して、顕著な鞍部。ここからは登り一本迷うことはない。低い笹を分けて行くと大ナギ山頂。白い杭はあるのに標石が見付からないと、前よりも笹が伸びて標石を隠していた。

来た道 青空
来た道 青空


《お宮峠まで》

山頂からは南西に下る尾根を2歩3歩行きかけた。君子じゃないけど「危うきに近寄らず」お宮峠に向かった。人の記憶は頼りない。記憶のない個所で右折のテープがあり、下るとお宮峠だった。


《駐車場所まで》

峠から下るとガケ崩れや落石があり、「自己責任で通行可」でもとても通行できない。工事現場の入口ですれ違った4駆は引返して来たのだと知った。

下ろうと思った尾根の出合はもしかしたらと思える程度の植林だったが、取付きはないようだ。そして、靴をドロドロにして鳥屋谷へ戻った。


《付録》

野原城址周辺帰路、白川町河東野原の野原城址を見に寄った。
(絵図では「ヒロカハラ」となっている)

『七宗御留山境界絵図』には現白川町坂の東の大利・相模・広島・小川の間に2つの城山が描かれていて、谷の位置から推測すると緑三角と青三角の2点となり、それぞれが野原城と何か関係あると思われる。

小川口を過ぎ、すぐに青い橋を渡ると野原に入る。T字路を右に曲がり野原城址遊歩道の入口の広場に車を置いた。

古びたお墓の前を通り、無人の民家を通り過ぎると山道になる。革靴では少々厳しい道を登るとすぐに尾根に乗り標高点251m。城址の石碑は更に奥のガケの上にあった。

石碑の位置からは飛騨川に架かる高山線の鉄橋が見え、大槻山は呼べば届くような距離だ。

カシミールで見てみると緑の城山からは飛騨川の上流が見え、青の城山からは飛騨川の下流が見渡せる。
もちろん、両城山から標高点251mにやぐらがあれば見通せる。

碑文によれば城主は安江氏で兼山の森氏・苗木の遠山氏に敵対したとある。

ちなみに、今日安江の姓をいっぱい見た。林道がある鞍部から大ナギまでの間の境界杭・御宮有本林道の途中にある記念植樹碑、そして野原城址の碑。

この地の名士なんだ。

境界杭 記念植樹碑
境界杭 記念植樹碑

野原城の由来の石碑
 野原城の由来の石碑


美濃一人山名録2012尾城山・大ナギ