七宗御留山の土塚拾四の位置を妄想独断で推測してみる。 | |
起稿 2021年3月21日 掲載 2021年3月25日 |
上記地図は地理院地図に国有林の地図を重ね、三角点熊之島と清水、図根点臼越を一致させて、国有林界を写しとった。 は明確な根拠がない はある程度の確証がある |
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注2の絵図には奥書に「享保九年辰十月七宗御留山如此相定り」とあるが、注1の絵図には「享保十己年」と描かれている。 注1の絵図には枠外の解説に、「べにずら・境谷間に14の土塚を築いた」と書かれいて、絵図でもベニヅラの左に1番が書かれているが、図根点ヒゲスリ(ベニヅラ)から図根点島小屋までは明確な尾根なのに4つも土塚が必要なのか? そもそも、図根点ヒゲスリはベニヅラなのか? (ヒゲを剃ったら、カミソリ負けして、顔が赤くなった。) 1番は「ザコ」で沢地形。また、2番は「栂の尾」だから主稜とは思えない。 |
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ならば。 右図の位置だと傾斜は緩く、土塚は流れにくい。とは言え、これも根拠がない。 「1」はザコで尾根を少しはずれている。岩井谷右岸の道から確認できる。また、国有林の地図に境界標の記載がある。(その位置が重要と言う事) 「2」は国有林の地図に境界標の記載がある。鳥屋場としては、ヒゲスリの南が良さそう。 |
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注3はs-ngmさんの「橋谷〜オク高屋」のページを参照した。 土塚10・11は美濃一人のカラス倉峠のページで検証した。 |
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《後記》 久しぶりに『七宗御留山境界絵図』を見て楽しんだ。 もう誰も知らないのだろうか? |
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美濃一人>山の事など>土塚拾四 |
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