| 多治見市 2025年11月6日(木) 五万図「瀬戸」 | |
廿原・池田町屋からの各参道+廿原道とババサ岩 この付近の道跡は2020/2/8のページの最後で総括しているが、廿原道(市道422020号)の一部が未踏になっている。 (廿原からの参道が林道ルートで大回りしているのが気になる。) この部分だけではもったいないので旧参道もあわせて歩くことにした。 (廿原からの参道は2019/6/21と2020/2/8、池田町屋からの参道は2018/5/5と2020/2/8に歩いている) また、ストリートビューで見える池田グランド付近にある石碑も見てみたい。 |
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| 《時間》 P 09:10 ↓ ババサ岩南端 09:35 ↓ 池田富士 10:50〜11:00 ↓ P 11:30 |
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| ババサ岩のテッペン(北側) | |
| 《廿原道、石碑まで》 富士林道の入り口付近に車を置いた。靴を履き替えている間にダンプが2台通過。市道415100号から廿原道の廃道に入る。 途中、新鮮なイタチの死骸があったが写真は撮らず、付いてくるのを恐れ「成仏しろよ!」と声を掛けて通り過ぎた。 そして、北丸山林道出合。ここに石碑がある。 |
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| 廃道入り口 | 丸根北林道出合 |
《石碑》 |
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| 残念ながら草ボウボウで近づけない。画像を拡大して見ると左は大正十三年、右は明治三十八年。 右の碑文は読めないが、左の碑文を拾い読みしてみると、「廿原道の補修は難工事で費用も掛かり苦労して成り遂げた」みたいなことが書かれているようだ。 |
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| 土工碑 | |
《ババサ岩》 市道422020号を行くとヘアピンカーブの手前のガケに大岩があった。これは当然ババサ岩の南端。岩に沿って登り、テッペンを目指すことにした。 急斜面を岩に沿って登っていく。 |
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| ババサ岩の南端 | 岩の切れ目 |
立ち木に掴まり登っていくと尾根状の所になり岩に足が届く。気を引き締めて登ると間違いなくババサ岩のテッペンに立った。ピークは数メータ間隔で2つの大岩があり展望は抜群。 |
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| 北側の大岩から高社山 | 南側の大岩 |
ババサ岩の北端から沢まで150歩で大体75m。そこから推測するとババサ岩は南北100mくらいで東西は40mくらいの塊になるようだ。 |
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《池田町屋からの参道》 取り合えず市道まで戻り出発。入口は草むらに隠れてほぼ分からない。観音寺川右岸を進み、沢の分岐付近は全く道跡が分からない。記憶を頼りに左岸を進むとようやく道跡が出てきた。 |
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| 市道のヘアピンカーブの参道入口 | 道跡 |
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| 橋の残骸 以前は2ヶ所あったが今は1ヶ所 |
切り株 十年くらい前までは手入れしていたのか |
道は沢を離れ南斜面を登りだすが、これを辿ると富士見配水池のゲート前に出るので適当なところから林道に出た。 《富士林道から参道》 林道から鳥居をくぐり、参道を登って行く。以前にはなかったピンクテープが八代龍王の祠跡に向かって一杯付いている。 |
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| 鳥居 | 道標 「右いせ 左廿原」 下街道改修の折に移設 |
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林道を横切り祠前に着いた。池田富士山頂は4回目。 |
| 八代龍王の祠跡 | |
《池田富士山頂》 三社(富士山・白山・立山)の祠は荒れ放題。左側の祠の頭のない像は役行者だとか? |
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| 役行者? | 三社の祠 |
高社山と同じ形のベンチで遠景を見ながら休憩した。 |
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《廿原からの参道》 こちらの参道は池田町屋からの参道より早くから廃道になり、道跡の形は半分くらいしか残っていない。 市道の出合には「池公」(池田公民館財産区)の境界標がある。 |
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| ナゾの遺構 | 池公の境界標 |
ババサ岩のテッペンが見られたことに満足して車に戻った。 |
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