| 多治見市池田町 2025年10月27日(月) 五万図「瀬戸」 | |
池田稲荷と愛岐トンネル群NO.14多治見側北口 10年ほど前、愛岐トンネル群の多治見側(No.14 池田町屋第二隧道北口)の写真を撮ったが、どこを探してもない。 それで池田山の東端辺りを散歩して、これの写真を撮ることにした。 池田稲荷に車を置き、池田稲荷からNo.14トンネル北口を見て辛沢川を渡り、道標の所から車道を歩き、池田不動を見て車に戻るコースを予定した。 |
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| 池田稲荷参道 | 池田稲荷 |
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| 奥の院への参道 | 奥の院 |
本殿から奥の院へは下り坂。そんな馬鹿なと思いながら、スニーカーで来たことを後悔するほどの悪い道。奥の院からは3段程の下り階段があるがすぐにガケで行き止まり。 おかしいと思い帰宅後調べてみると明治31年に中央線に追われ遷座していた。 |
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| 赤レンガの階段 | 赤レンガの階段 |
この赤レンガは愛岐トンネル群に使われている物と同じだとか。 |
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| 赤レンガの擁壁と三の鳥居 | 二の鳥居 |
二の鳥居を過ぎ、砂防えん堤を右手に見て下ると参道はだんだん怪しくなり、山靴で来なかったことを後悔した。 |
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| 一の鳥居(正面から) | ヤブで行き止まり |
一の鳥居のすぐ先で行き止まり。エッ!そんな・・・、仕方なく引き返した。 三の鳥居の先に古い感じの石積みがあり、脇を上ると曲輪の感じ。大きな石碑を見て道に出るとそこには池田城主の墓があり、行きには見落としていた。 |
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| 古い感じの石積み | 池田城主の墓 |
最後に見るはずだった池田不動に参った。山際には仏塔?があり、銘には斎藤何某・皇紀2600年とある。 |
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| 池田不動 | 仏塔 |
山側の道を上ると池田信輝の墓と由来書き。 |
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| 由来書き | 池田信輝の墓 |
車で移動し、池田町3丁目にある道標付近に車を置き、愛岐トンネル群の多治見側(池田町屋第二隧道北口)に向かった。 |
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| 道標(稲荷神社道、大正14年) | 中央本線池田町トンネル北口 |
沈下橋を渡り池田町屋第二隧道北口の前に着く。あれ!前回来た時はトンネルの口は全面板でふさがれ、かなり手前にバリケードがあったのに、今はトウセンボだけで中が見える。 写真を撮っていると後ろからヘルメットのお兄ちゃんがやって来た。 「この向こうでボウリング調査をしていて、モノレールも設置している」と。 モノレールの起点は月見林道にあるのだろうか。 |
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| 沈下橋 | 池田町屋第二隧道北口 |
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| 池田町屋第二隧道北口 | 池田町屋第二隧道北口 |
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沈下橋を渡り車に戻った。が 膝の上までヒッツキ虫が一杯。 手で取るのは諦めて、 帰宅後コロコロで取った。 歩行時間は1時間くらい。 |
| 沈下橋 | |
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