高岡山から見る御前ヶ岳(2005/8/16) | |
御前ヶ岳 663.9m 金山町菅田笹洞 2019年3月20日(水) 地形図「金山」 |
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《御前ヶ岳の参道》 |
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2005年8月に行った時は林道から登り、下山は参道を見付けて貝洞に下った。 (右地図の東尾根道) 最初は道を探して南尾根を少し下った。 「南の尾根に踏み跡があり、これを下る。しかし尾根から東に下る道は無く、何時までも尾根の上を歩いている。その内に尾根は西に向いたのでここで引き返した。」と書いてある。 その間10分。右の地図の「×」までは600mあるのでせいぜい半分くらいまでで、地図は間違っているようだ。 でも、笹洞に下る道はありそうな気がする。 ならば、それが笹洞からの参道かもしれないので確認しに行くことにした。 |
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《時間》 駐車場所09:55 ↓ 御前ヶ岳山頂11:05〜11:15 ↓ 駐車場所12:05 駐車場所12:10 ↓ 岩山手前12:50 ↓ 駐車場所13:15 |
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《登り》 笹洞白山神社の横を通り、ストリートビューで見た資材置き場の山側にある踏み跡の下見に入った。そこは廃棄された茶畑だった。あきらめて戻ろうをすると杭の続く道があり、これに決めた。 |
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茶畑の入口 | 道? |
少し先のカーブのテッペンに車を置き、出発。山道は少し登った所で消えてしまい、ちょうど車が見える尾根を登ることになった。480m辺りには、ここらでよく見る「菅山」の標識があった。 P501m辺りまで来ても踏み跡は皆無。やっぱり参道はないと判断し、下りは当然ピストンになると、ここから紙テープを付けることにした。 |
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550mコブには右手側に薄い切り開きが下っているが、これは昨夜、地理院地図で確認した笹洞と桐洞の境界だろう。またここから廃棄されたTVアンテナのケーブルが次の鞍部まで続いていた。 そして、鞍部には峠道があった。笹洞新田側ははっきりと残っているが、貝洞側は崩れた電光型段差が見られる程度でとても下れそうにない。 |
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TVのケーブル | 峠道(笹洞新田側) |
鞍部から少し登るとかなり古い作業道が左手に出てきて、これを行ったがすぐに下りだし直登して尾根に復帰した。帰路、尾根とこの作業道の分岐で吸い殻入れを見付けた。 |
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古い作業道 | 吸い殻入れ |
踏み跡がしっかりしてきたと思ったら林道に出合った。貝洞からの林道は尾根を越えていた。林道の終点から階段を登り御前ヶ岳山頂。「御嶽神社」と「御前嶽権現」の石碑にご挨拶して、石積みをテーブル代わりに使わせてもらい、お昼にした。 |
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石碑 | 山頂切り開きから高賀山群 |
《下山》 紙テープを回収しながら下り、林道入口の尾根を目指したが、分岐を間違い、登った尾根の1つ北の小尾根を下ってしまった。現在位置の読みを100m程間違ったようだ。 《次の目的地へ》 なぜ行くか。この山が「御前」と呼ばれる元になった御嶽との2ショットを撮りたかった。 笹洞白山神社から三等三角点祖父利に行った折に岩山があり、あそこなら2ショットが撮れるかもと思った。 車を移動させて、廃林道に入った。こんな所にまで棚田の跡があり、米作りの執念がすごい。だからこの辺りから先が笹洞新田なのだろう。 林道終点から踏み跡が見える左俣に入った。次の分岐で右に行ったが踏み跡は完全に消えた。コンパスを見ると南を向いている。反射的に引き返した。 (家で考えると、あのまま進めば市境尾根と岩山の鞍部に出ると分かった。) 林道終点まで戻り、右俣に入ったら踏み跡が続き下呂と関の市境尾根に簡単に届いた。境界尾根の急斜面を登り岩山へ進んだ。 岩山の下まで来て怖気付いた。登って登れないことはないが不安が先行。東の尾根を見ると灌木が見え、向きも良くないと言い訳をして引き返した。 |
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岩山 | 境界尾根から御前ヶ岳 |
《分かった事》 2005年に下った南尾根の踏み跡は共聴アンテナの為のものだったのだろう。その時は鞍部付近までしか行ってないようだ。 笹洞からは、御嶽の横にこの山が見えるのに参道はない。貝洞からは、全く方向違いになるのに参道がある。石碑の向きは130°くらいで明らかに貝洞を向いている。「御前嶽権現」は桐洞村の神さまなのだろう。 《おかしな事》 横谷川の奥から笹洞新田・ ちなみに坂桶は笹洞村の枝郷のようだ。また、登路瀬は『新撰美濃志』には笹洞村の枝郷となっている。ということは、貝洞新田は桐洞村なので孤立していることになる。 どんな物語があったのだろう。 |
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