本洞(三等三角点) 554.8m 白川町 2016年4月15日(金) 地形図「金山」 【時間】 氏子峠 09:15 ↓ 舞坂峠(前坂峠) 09:55 ↓ 本洞 10:25〜10:40 ↓ 中ノ洞(四等三角点) 11:50 ↓ 氏子峠 11:55 |
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《氏子峠》 坂の東小川の薬師堂の横から集落内を行き、氏子林道に入り、獣害防止柵を開いて通過する。気が付けば氏子峠に着いていて、四等三角点中ノ洞を素通りしてしまった。 金山町側の広場に車を置き、いざ出発。峠のお地蔵さまに挨拶をする。言い伝えでは、この辺りで自害した人を供養するために安置されたらしい。そんなことを思い出すと少々気味が悪い。 とは言え明るく、いい感じの峠だ。ところが小川側に取り付く所はなく、一旦駐車場所に戻り、沢状の所から境界尾根に上がった。 |
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氏子峠 | 氏子峠のお地蔵さま |
《登り》 尾根上には「菅山」の表示板と「菅田山」のコンクリート柱が続いている。508mPの少し先からプラ杭だけになった。コブには巻き道があり、人の往来があったようだ。 そして、掘れ道を横切った。足元を見るとやさしいお顔のお地蔵さんがおられ、坂東小川の人が天保9年(1838年)に建てたとある。その先で境界杭を見かけなくなると石を積んだ境界の標識になった。 |
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菅山・菅田山の標識 | 峠のお地蔵さま |
石積みをいくつも過ぎて、三等三角点本洞に着いた。道は更に東に続いている。 帰宅後に気が付いたが、もしかすると300m先に新津と井尻を結ぶ峠道があるかもしれない。 |
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石積みの境界標識 | 三等三角点本洞 |
《下山》 境界杭があまりないので、今日は少し多めに付けた紙テープを回収しながら途中の峠に来た。すると登りで見た石仏の対面にもう一体のお地蔵さまがおられた。 こちらは金山の人が建てたようで、文政10年(1827年)となっている。僧形で蓮華の上に立ち、お地蔵さまに違いないとは思うが合掌されている御像は珍しい。 それにしても峠の両側の村人が石仏を建てるのは珍しいと思う。それほど重要な峠なのだろう。 車で通り過ぎた四等三角点中ノ洞に下ろうと尾根を探す。見ると、境界標見出しのためのピンクのテープがあった。間違いないとは思うがこれがハズレだと村まで下ることになるので、60mHを限度として下る。水晶山や大槻山を枝越しに見ながら下ると林道が見え、中ノ洞に対面。氏子峠まですぐだった。 |
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峠のお地蔵さま | 四等三角点中ノ洞 |
《本洞西方550mの峠》 小川で峠の名前を聞こうと思ったが、ちょうど昼時、家の外には誰もいなかった。帰宅後調べると、岐阜国道事務所の『美濃の峠』の「氏子峠・聞取調査」の項では「郵便や新聞は前坂峠を通ってきていました。」とある。『点の記』では舞坂峠となっている。 (注:maesakaとmaisakaで、e/iの差。漢字の意味は問わない。) 大槻山に行った折、小川の住人が飛騨へのメインルートは「浄蓮寺峠越えだ」と言われたが、飛騨川沿いに新津・村君を通ったら遠回りになるのでおかしいと思った。しかし、この舞坂峠を通れば確かに最短ルートになる。 七宗町神淵大塚で飛騨街道と分かれ葉津からサクラ峠、ブス洞峠、浄蓮寺峠を越えて小川に入り、舞坂峠を越えて金山町金山井尻のはずれで飛騨街道に出合うルートは、袋坂峠を越すよりかなり短い。 |
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