萱原(三等三角点) 629.6m 七宗町 2016年4月5日(火) 地形図「金山」 《今日の目的》 七宗国有林南端(麻生高屋の南)から勝へ下る勝谷西俣の西斜面にある道は続いているのかを確認する。 資料 : s-ngmさん「萱原2」の《修正》の項 (解説資料 : 美濃一人「カラス倉峠」の《カラス倉峠》の項) 【時間】 駐車場所 08:50 ↓ 尾根に取り付き 09:00 ↓ 萱原(点名) 10:20〜10:35 ↓ カラス倉峠 11:50 ↓ (谷に下りる 12:30) ↓ 滝下 13:00 ↓ 1番目の倒木地帯 13:20 ↓ 林道柿ヶ夫線出合 13:50 ↓ 駐車場所 14:00 |
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《萱原(点名)まで》 林道橋谷線が橋谷を渡る手前の路肩に車を置いた。天気予報は晴れだったのに雲はかなり低い。来た道を戻り、巡視路の標示板NO.12から入山。 さすがに巡視路だけあって道は完全、ただ急斜面でアキレス腱は目一杯ストレッチ。愛宕大明神の石碑があり、そして12番鉄塔。ここからは川並の集落が見える。 |
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愛宕大明神の石碑 | 12番鉄塔から川並の集落 |
鉄塔を過ぎても道は続く。萱原の稜線から下るこの尾根は数年前まで巡視路だったのだから当然だろう。それにしても、この尾根は自然林で、取り付きからコバノミツバツツジが満開、ヒカゲツツジは咲き始め、タムシバは散り始めで楽しませてくれる。 岩場が2ヶ所あるが巻いたり、登ったりでクリア。主尾根に出合うと黄色のテープが出迎えてくれた。 そして、3度目の萱原。 |
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タムシバの花びら | 3等三角点萱原 |
《カラス倉峠まで》 ここからは細尾谷を周回したときに通過しているから安心して歩いて行く。2つ目のコブを過ぎると結構な大岩があった。全く記憶にないが岩場は下りの方が緊張するようだ。 岩場を下り、鞍部から未知の支尾根に入る。このルートは「みのかもから山登り」さんの記録があるので心強い。地籍調査の際の赤と青のテープに助けられ岩尾根を越えて行く。このテープがなかったら、きっと倍くらい時間が掛かるだろう。 そして、最低鞍部に着いた。ここからは右手の谷と右前方の斜面に黄色のプラ杭が確認できた。その時ふと思った。もしかしたら国有林界の歩道はここに来ているのではないかと。 594mP付近には前回なかったトウセンボの青いテープがあり、最近役場が調査に入ったようだ。そして、国有林界カラス倉峠に着いた。 |
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新しい七宗町のプラ杭 | 最低鞍部(右手2方向に杭がある) |
《今日の目的、旧道探し》 境界標639から国有林界を下る。すると国有林界歩道の20mほど下に林道がある。きっとこれは口高屋付近で工事をしていた林道がここまで伸びてきたのだろう。 境界の歩道の続きを南へ進む。尾根を巻いてすぐに岩に出くわした。岩を登る方が正解だったようだが、岩の縁を下ってしまった。すると地籍調査の切り開きが等高線に沿って続いている。 歩きにくいのは我慢して進む。それも終わり、谷に下ると50mほど上に最低鞍部が見えた。予感は的中した。谷を下るとプラ杭が続いたが、いつの間にかなくなり、そして谷は狭くなった。 |
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地籍調査の切り開き | 最低鞍部直下の谷 |
このまま谷を下れる訳がないと右手の緩斜面を登ると道があった。これが正に旧道に違いない。もう安心だ。尾根の先端、ここがs-ngmさんが横切った場所だろう。 |
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旧道 | 尾根の先端付近 |
緊張はほぐれて道なりに歩いて行くと、岩で行き止まりの感じになった。 これも下りで岩の縁を回ったが、出た先は滝だった。急斜面を幾度か転びながら谷に下りたが、右から谷が合流し、中々南斜面に取り付けなかった。 急斜面をよじ登り尾根の先端に行くと2mほど上に道があった。 後で考えると、道をふさぐ岩を登れば滝の落ち口を通過できたのでは、と思う。 |
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この尾根の先から下を覗くと切り開かれたように灌木はない。しかし、かなりの傾斜で足を滑らしたら西俣まで滑落しそうだ。 道なりに進むと、今度は倒木で谷が埋まっている。どうにか倒木の少ないところから谷に下り、登り返すと道に沿って給水ホースがあった。 |
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沢を埋める倒木 | 左側にホースがある |
次の沢も地滑りの倒木で埋まっているが何とか道に戻った。その次の沢も倒木。さすがに根気がなくなった。すでに谷沿いの林道が見える位置まで下っているので、ガラガラの急な斜面を下り林道に出合った。 |
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倒木 | 柿ヶ夫林道出合 |
林道 林道勝谷線を歩き車に戻った。 |
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《何の道か》 何故、急斜面を横切り、徐々に高度を上げる、幅半間の道が必要だったのか。人が徒歩で勝から御留山まで行くなら今回の登りのルートが安定していてベストだ。 ただ、シャレ山稜線から594mPをつなぐ岩尾根を馬は絶対に通行できない。 『太郎治小屋よりの消息書状』の記載や、『七宗御巡山日数多少積』に勝の村名の記載がない等の矛盾はあるが、口高屋付近にあったと思われる太郎治小屋への人馬の通行は勝からこの道を通ったと考えても矛盾しないと思う。 《雑感》 ケガに打ち身、その上に怖い思いをした今回の山歩き。シャツもズボンも泥だらけ。でも自分なりには意味があったと思う。 ただ、残念なのは最低鞍部付近の「道」を確認していないこと。機会があればぜひ、とも思うが現実的ではない。 |
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美濃一人>山名録2016>勝谷西俣 |
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