内津散歩

内津散歩 春日井市内津町 2016年1月17日(日) 地形図「瀬戸

コース地図


《滝坂道について》
峠の石仏
東海自然歩道、廿原付近の馬頭観音像のある峠(内津川と三の倉川の鞍部)の名前を知りたかった。

多治見市役所、春日井市役所共に内津峠だと言う。
「違うでしょ。内津峠は内津川と辛沢川との峠でしょ」と言っても理解できない人達だった。

昨年の秋ごろ、廿原で聞き取りをしたが(2人だけ)、知らないと言われた。

そして今日、栄屋旅館(廃業している)のおじいさん(92歳)に教えてもらった。峠の名前はないが、滝坂道だと。


【時間】

内津神社08:25−墓地08:45−東海自然歩道出合09:40−峠10:10〜10:25

−栄屋旅館10:50−内津神社11:10


《内津町内》

古民家

看板 看板

下街道の面影を残す民家。旧国道19号拡張の折り、10mほどさげられ、新築するよりも費用が掛かったといわれている。


《墓地から遊歩道、そして東海自然歩道》

旧道から墓地に上がる。墓地内を通り抜けて最上部からヤブに入る。小屋からポンプの残骸を通り、高みを目指す。尾根がシダに覆われているので右斜面に逃げると踏み跡があり、これを行くと谷に下りてしまった。

小屋 ポンプ
小屋
ポンプ(昭和40年代、ため池から内津町内の工場まで水を引いていたようだ)

以前、墓地から谷通しで歩いた時に、ここを通った記憶がある。斜面を登り返すと道があり、マンガン採掘鉱跡を通り、少し先で遊歩道に出合うと、すぐに29番。
そして、31番で東海自然歩道と出合う。

高社山南の採石場
マンガン採掘鉱跡 高社山南の採石場

右上の画像を見る限り、379m峰の左中腹にある北小木からの古道の出口付近は削られてしまったようだ。高社山周辺は、この10数年で様変わりしてしまった。

さて、石仏のある峠に着いた。予定ではここから内津に下りるつもりだったのだが・・・・・、立ち入り禁止の標識がある。
ちょっと入ってみたが、通行不可。引き返し、東海自然歩道で内津町内に戻った。


《旅館栄屋のじっちゃんに聞き取り、そしてパンフレット》

峠道に関しては先に記したが、その他のことを記録する。

「ラジウム泉でキズなんかはすぐに治った。」
ウィキペディアの受け売りで「昭和4年の19号線の拡張工事の時、出たのですよね。」と言うと、「違う。以前から湧いていて、うちは昭和2年の創業だ。」と言われた。

「廿原で病人が出ると2・3人で担いで内津の医者に連れてきた。」
そう言えば、あの旧家の当主はお医者さんだったが、先先代もお医者だったのだろうか。

すごく古い東海自然歩道のパンフレットを頂いたが、きっと整備されたころのものだろう。

その中の「道樹山・弥勒山」の項に、「東には応夢山・遠くには三国山・猿投山などを一望・・・・・」とある。
応夢山は定光寺の山の事だろうから、南だし、絶対に見えない。
と思い検索すると、「春日井市観光コンベンション協会」のサイトに全く同じ文章がある。定光寺以外に弥勒山の東に応夢山てのがあるのだろうか?


《2,5万図「高蔵寺」》

古い地形図を見ると大正12年・昭和6年と22年には滝坂道が描かれているが、昭和46年の地図に採石場が登場してから、破線は消されている。それ以降平成12年までは破線路はない。
所が、平成28年版には滝坂道が復活している。

カシミールを見てみると、地理院地図の旧版に記載はないのに、新版には描かれている。
(下図参照)
旧版 新版
電子国土(旧版) 地理院地図(新版)

そう言えば、地理院地図で、高社山周辺も破線表示が増えているが全国的なことなのだろうか。


《後記》

ウィキペディアも、春日井市の公的機関も100%は信用できない。

栄屋のじっちゃんが言ってた、滝坂道はタヌキに化かされると。
当サイトも、「まゆにつばをつけて」ご覧ください。


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